「レアメタルの失われた30年」


 第一部では「技術立国日本の誇りと懺悔」を書いた。中国の飛躍と日本の停滞:忘れ去られた「友好の証」についても触れた。この技術交流が、後の中国の技術発展の強固な基盤となったことは、紛れもない事実である。1990年代以降、中国のレアメタル産業は目覚ましい速度で成長し、世界市場において圧倒的なシェアを獲得するに至った。しかし、その一方で、日本のレアメタル産業は相対的に停滞し、技術開発の勢いも鈍化していった。この時期から、日本の経済全体も「失われた30年」と揶揄される長期停滞期に突入するのである。


 2000年代、2010年代、そして2020年代へと時代が移り変わるにつれて、中国の若い技術者たちは業界の中堅へと成長していった。そして、世界における中国の貿易シェアが拡大するにつれ、彼らはある「思い違い」を抱くようになったと感じている。それは、「日本の技術供与があったこと」を全て忘れ去り、現在の中国の技術発展は「全て自国独自の努力の賜物である」と認識するようになったことである。若い技術者たちにとって、過去の事実を知る機会が少ないため、そのような認識を持つのは当然のことなのかもしれない。


 この「忘却と誤解」は、レアメタル業界に限った話ではない。例えば、日中戦争の償いとして鉄鋼の技術を宝山製鉄に惜しみなく供与したという事実については56夜で触れた。日本の製鉄技術は、まさに「友好の印」として、可愛いい弟子に与えるがごとく無償で提供されたのだ。しかし、今の中国の鉄鋼業界では、この事実を理解している者はほとんどいない。あたかも中国が自らの力だけで技術開発を成し遂げたかのように思い込んでいるのが実態である。レアメタル、レアアースの分野においても、全く同じことが言える。中国の技術開発の実態は、今や古い話として業界からも忘れ去られ、「中国こそが世界に先駆けて資源、技術、需要を開発した」という誤解が、広く一般的に受け入れられているのだ。


未来への提言:謙虚さと感謝が生み出す新たな協力関係


 商社マンとして30年、独立して経営者として20年、合わせて50年間にも及ぶ日中貿易の中で、今、私が気がついていることは二つある。一つは、私自身の行動が中国の発展に役立ち、貢献できたという、ささやかながらも誇りがあることである。短期的には日本の業界にも役立った側面も事実として存在した。しかし、同時に、二つ目の事実として、中国が過去の経緯を忘れ、「全て自分たちの技術で今のレアメタル・レアアースの成功を築いた」と思い込んでいること、そして、その陰で、私が日本の技術を惜しみなく供与したことが、中期・長期の視点で見れば、日本のレアメタル・レアアース業界の国際競争力低下を招いた大きな原因の一つとなっていることも痛感している。


 今さら中国のレアメタル・レアアース業界に対して、「恩を仇で返された」などと恨み言を言っても詮無いことである。それよりも重要なのは、世界の中でレアメタルやレアアースが、半導体、ハイテク、自動車、産業機械といったあらゆる分野において、人類の進歩に貢献しているという価値観を、日本と中国の間で共有することである。私が若かりし頃に精一杯取り組んだことが、日本の産業界を弱体化させ、中国を強化したと考えるのではなく、むしろ謙虚な気持ちで、日本は中国を支援したのだと捉えるべきである。そして中国は、日本の技術のおかげで、今の産業界の発展が実現したのだという「感謝の気持ち」を忘れずに、日中関係をより良いものへと発展させていくべきだと今、強く考えている。


 古き良き時代、中国は日本の技術を熱心に吸収しようと願った。宝山製鉄のケースと同様にレアメタルやレアアースの技術もまた、友好の印として、可愛らしい弟子に快く与えられたのである。それが後に、最も手強い競合相手を育て上げることになるとは、当時の日本は夢にも思わなかった。日本の技術はいくらでも成長できると驕り高ぶっていた、まさに「世間知らずのお人好し」であったと、私は自戒を込めて深く反省する。


 筆者の関係者が東京大学で研究しているが同じ研究室の中国人仲間が「日本の先端技術の話題」は一切しないで欲しいと告白するのだ。何故なら留学生の知り得た情報は中国の法律に従って全て通報する義務があると言うのだ。無論日本人の産業スパイもいるが、国家に忠誠を尽くして通報する義務はない。信じられないがこれが現実であり事実である。


 しかし、それでもなお、世界の技術の歴史は、日本と中国が協力することで、世界的な友好と貢献を成し遂げられると信じている。過去の教訓を胸に刻み、謙虚さと感謝の念を持って、新たな協力関係を構築していくことこそが、未来に向けた日中の進むべき道である。