お知らせ

2026.06.16

レアメタル千夜一夜 第154夜 中国はなぜ“精製”を制したのか ――「韜光養晦」に原点がある

 世界のレアメタル市場を見渡すと、中国の支配力は圧倒的である。レアアースの分離精製はもちろん、タングステン、アンチモン、マグネシウム、黒鉛、ニッケル中間原料、さらには電池材料や磁石工程に至るまで、中国は巨大なサプライチェーンを形成した。西側諸国では「中国は安いから勝った」と語られることが多い。しかし、それは表面的な理解に過ぎない。現実には、国家戦略、環境問題、補助金政策、為替政策、そして西側自身の撤退が複雑に絡み合った結果なのである。


 中国市場は、おそらく世界最大の競争社会である。しかも厄介なのは、国家そのものが競争を煽る構造を持っている点だ。自由主義経済では、本来なら過当競争によって企業は淘汰される。しかし中国では、地方政府や中央政府が補助金を投入し、生産能力を維持し続ける。その結果、市場原理だけでは説明できない巨大な供給能力が生まれた。特にレアアース産業では、その傾向が顕著だった。


 中国南部のイオン吸着鉱山では、かつて硫酸アンモニウムなどを大量に使用した原始的な採掘が行われ、周辺環境は深刻な汚染に晒された。私は現場で、放射性物質による被曝の疑いを持つ研究者や労働者を見たことがある。顔色を失いながら分離工程を続ける技術者たちを前にして、「国家戦略の裏側には、必ず犠牲がある」と痛感した。もちろん、日本にも似た歴史はある。戦後、日本化学工業の亀戸工場では六価クロムによる鼻中隔穿孔の労災問題が発生した。高度成長期の日本もまた、環境より経済を優先した時代があったのである。しかし、中国の現場は、その規模も深刻さも、当時の日本を遥かに上回っていた。


 それでも中国は突き進んだ。理由は明確である。国家が「工程支配」を戦略目標としていたからだ。鉱石を掘るだけでは覇権は握れない。分離、精製、焼結、磁石化、合金化――つまり“中流工程”を押さえた者が、最終的に価格決定権を持つ。中国はそれを早い段階から理解していた。しかも、中国は海外競合企業が撤退するまで、赤字覚悟の安値輸出を続けた。西側企業が「採算が合わない」と工場を閉鎖する一方、中国企業は国家補助金によって延命される。加えて、人民元安政策も輸出競争力を支えた。自由主義経済の企業が、この国家主導型システムに勝つことは極めて難しかった。


 さらに、日本側にも事情があった。1985年のプラザ合意以降、急激な円高が進行し、日本の製造業は生き残りを懸けて海外移転を迫られた。特に中国進出は「選択肢」ではなく「生存条件」だったのである。工場を中国へ移転しなければ価格競争に耐えられない。結果として、日本企業は製造設備だけでなく、工程管理や品質管理の技術まで中国へ移転せざるを得なかった。無論、それはレアメタル業界だけの話ではない。


 半導体産業でも、かつてアメリカ企業の技術が日本へ流入し、日本企業が世界シェア6割以上を握った時代があった。技術移転は歴史の中で繰り返される現象なのである。実は、私自身も中国への技術移転に関わった経験がある。日本の半導体関連技術が中国へ移る過程で、その見返りとしてレアメタル原料を安価に調達したことがあった。当時の商社マンにとって、それは特別な話ではなかった。欧米企業でも同様のことは山ほど起きていたのである。だが、日本の対中政策には決定的な甘さがあった。


 経済援助やODAが、中国の経済大国化後も長く継続されたことである。中国は1992年の鄧小平「南巡講話」を契機に、「社会主義市場経済」という奇妙なシステムを完成させた。共産党独裁のまま市場原理を導入するという、西側には存在しないモデルである。そして、その思想的原点にあったのが「韜光養晦」という言葉だった。「実力がつくまでは出しゃばらず、力を蓄え、好機を待て」鄧小平のこの思想は、単なる外交方針ではない。レアメタル戦略そのものだったのである。


 WTO加盟時、中国は低姿勢だった。しかし市場で優位を確保すると、輸出規制や国家管理を外交カードとして使い始めた。レアアース禁輸問題は、その象徴に過ぎない。中国人は競争を恐れない。むしろ競争こそが国家を強くすると信じている。平身低頭で技術を学び、徹底的に吸収し、力を付けた後は一気に主導権を握る。そのしたたかさを、西側諸国は長年見誤ってきた。日本では「中国に技術を盗まれた」という感情論が語られる。しかし現実には、西側自身が利益を優先し、競争に敗れ、撤退した結果でもある。レアメタルの覇権とは、単なる鉱山の話ではない。国家の意思、産業政策、通貨政策、環境問題、そして企業の短期利益主義――その全てが絡み合った末に、中国は世界の“精製国家”となったのである。

Back