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2026.05.14

レアメタル千夜一夜 第143夜 トリウムの影――インドという国家の深層構造

 レアアースを語るとき、人は中国を見る。それは間違いではない。だが、半分しか見ていない。もう一つの大国がある。静かに、長い時間をかけて、資源と向き合ってきた国。インドである。だがこの国は、中国のように声高には語らない。むしろ逆である。沈黙の中で、国家の奥底に資源を蓄え続けてきた。その核心にあるのが、トリウムである。


■ ウランではなく、トリウムを選んだ国


 通常、原子力はウランから始まる。だがインドは違った。いや、正確に言えば違わざるを得なかった。自国に十分なウラン資源がない。代わりにあったのが、海岸砂に眠るモナザイト。そこに含まれる膨大なトリウムであった。この現実が、インドの国家戦略を決定づけた。ホミ・バーバ以来、インドは三段階の原子力開発構想を掲げた。第一段階はウラン。第二段階はプルトニウム。そして最終段階がトリウムである。つまりインドは、最初から「トリウム国家」であったのだ。この発想は異様である。だが同時に、極めて合理的でもある。資源とは、あるものを使うしかない。インドはその現実から逃げなかった。


■ モナザイトという「呪われた資源」


 インドのレアアースを語るとき、モナザイトを避けて通ることはできない。ケララ、タミルナドゥ、オリッサ。これらの海岸に広がる黒い砂。そこに含まれるのがモナザイトである。レアアースを含む。だが同時に、トリウムという放射性元素を伴う。ここに、この国の宿命がある。資源でありながら、規制対象でもある。価値でありながら、制約でもある。この二重性が、インドの産業化を遅らせた。


■ IREL――国家の倉庫としての企業


 このモナザイトを扱ってきたのが、Indian Rare Earths Limited(IREL)である。1950年設立。1952年には処理設備が稼働した。だがこの企業の本質は、商社でもメーカーでもない。国家の倉庫である。IRELはレアアースを売るために存在したのではない。トリウムを国家の手の内に留めるために存在したのである。分離されたトリウムは備蓄される。一部は原子力研究へ回る。だが本質は、使うことではない。保持することである。山師の目から見れば、これは明らかに市場の論理ではない。国家の論理である。だからこそ、インドは「資源はあるが供給できない国」となった。


■ 中国との決定的な差


 同じ時代、中国はどう動いたか。掘る。分ける。加工する。そして世界に供給する。流れを作った。インドは違う。掘る。分ける。そして止まる。ここに決定的な差がある。山師の世界では、こう言う。流れを作れない資源は、存在しないのと同じである。インドは長い間、その壁を越えられなかった。


■ 変化の兆し――磁石へ、そして市場へ


 だが、時代が変わった。2020年代に入り、インドはようやく動き出した。希土類永久磁石。すなわちNd-Fe-Bである。国家は補助金を出し、産業を立ち上げようとしている。採掘から分離、そして磁石製造までの一貫体制。これは明らかに、中国モデルの後追いである。だが、意味は大きい。初めて「流れ」を作ろうとしているからだ。さらに重要なのは、国内市場である。14億人。急拡大するEV。電子機器、再生可能エネルギー。これは巨大な消費であると同時に、巨大な都市鉱山でもある。インドは、採る国から回す国へ変わろうとしている。


■ 鈴木修という異端の先見者


 ここで一人の人物を思い出す。鈴木修である。1980年代初頭。インドはまだ自動車後進国であった。市場は小さく、制度は未整備。誰も本気で投資しようとは思わなかった。その中で、鈴木は賭けた。小型車を持ち込み、現地生産を行い、インド人のための車を作った。Maruti 800。これがすべてを変えた。インドに「自動車」という概念を根付かせたのである。その後の成長は周知の通りだ。市場シェア40%超。インド最大の自動車メーカー。だが本質はそこではない。鈴木は見抜いていた。市場は存在するものではない。創るものである。この哲学こそが、インドを動かした。


■ レアメタル産業への示唆


 今、インドは同じことをやろうとしている。レアメタルである。資源はある。だが市場がない。ならばどうするか。創るしかない。磁石を作り、モーターを作り、EVを走らせる。その中で、資源が流れ始める。これは鈴木修の再現である。


■ 山師の結論――遅い国ほど、強くなる


 インドは遅い。意思決定は遅く、制度も複雑だ。中国のようなスピードはない。だが、その代わりに、深さがある。国家戦略。人口。市場。そして時間。すべてが積み重なっている。トリウムを半世紀眠らせた国である。短期の利益で動くはずがない。だが一度動き出せば、その流れは止まらない。山師はこう見る。インドはまだ主役ではない。だが、必ず舞台の中央に出てくる。その時、世界は気づく。静かに蓄えられていた力の大きさに。資源とは、存在ではない。流れである。そして流れとは、時間の産物である。インドは、その時間を最も長く持つ国である。ゆえに、この国は強い。遅れているのではない。準備していたのである。

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