お知らせ
2025.12.11
――人の心を掘ることこそ、真の採掘である――
序章 世界は交渉の舞台である
旅とは交渉であり、交渉とは人生である。私は半世紀にわたって世界を駆け抜け、116ヵ国を踏破してきた。だが、そのすべての旅は、鉱石を求める行ではなく、人の魂を掘り起こす旅であった。契約書の文字は消えても、握手の温度は残る。鉱石の輝きよりも、人の眼差しの方が深く心に刻まれる。私は資源を探していたのではない。世界各地で「人間という鉱脈」を掘り続けていたのである。交渉とは、勝ち負けのゲームではない。それは、魂と魂のぶつかり合いであり、命を賭けた舞台である。
第一章 山師たちとの出会い ― 火花が散る瞬間
●中国・江西省の呉律新
広州交易会の喧騒の中で、彼は白衣姿のまま私に名刺を差し出した。「希土とは、国の未来そのものです」と静かに言ったその瞳に、私は中国の夜明けを見た。イオン吸着型希土鉱を実用化した彼は、理論家であり、情熱家であった。工場の蒸気が立ちこめる夜、彼はふと呟いた。「金属の値段は、人の心の温度で決まるんです」三十年後、再会した彼は国家技術院の重鎮になっていた。年老いた手で握手を交わしたとき、あの時の温度が、再び掌に蘇った。
●ブラジル・リオのホルヘ・パウロ・レマン
サントス港の倉庫街で、彼はギターを手に取って笑った。「サンバのリズムで商売するんだ!」そう言ってサインした契約書には、ピンガ酒の香りが染み込んでいた。リオの陽光の下、彼は音楽とビジネスを同じリズムで生きていた。やがて彼は実業界の巨星となり、リスクに賭け続けた。だが、晩年には酒に呑まれて静かに逝った。それでも、彼の笑顔はいまも私の胸の奥で踊り続けている。
●ロシア・イルクーツクのアレクサンドル・シャゴイコ
氷点下三十度、凍てつく夜の鉱山。焚き火の前で、彼は無言のままウォッカを差し出した。「この酒を飲めるか。それで契約が決まる」私は一気に飲み干した。喉が焼けるように熱くなり、彼はようやく笑った。翌朝、契約書は一枚も交わされていなかった。だが、契約は成立していた。ロシアにおける信頼とは、言葉ではなく“度数”で測るものだ。後に彼はイルクーツクの知事となり、英雄として名を残した。「魂にハンコを押した」と書かれた彼の手紙はいまも手元にある。
●アフリカ・ルワンダのムブンバ・エンヌルト
彼は裸足で現れ、胸に鉱石標本を抱えていた。「これが我が国の未来だ」その言葉に私は心を打たれ、契約を交わした。だが後に、その鉱石が偽物であることが判明した。私は大きな損失を負った。それでも、彼を憎めなかった。未成熟な社会の中で、彼は夢を売るしかなかったのだ。あのときの彼の笑顔は、純粋な“希望の顔”だった。人は時に嘘をついてでも、生きようとする。私はそれを、人生の悲しい美学として受け入れた。
第二章 友情と裏切りの境界線
国を越え、文化を越え、信頼を交わした人間同士でも、利益の一枚の紙切れで、友情は崩れ去ることがある。だが、裏切りを恐れていては、何も掘り出せない。ビジネスの世界には永遠の友情はない。だが、誠意には時効がない。香港のホテルで裏切られた夜、私は怒りではなく、静けさを感じた。「彼にも家族がある」そう思えたとき、自分がひとつ成長したと悟った。山師とは、裏切りをも“人生の地層”として受け入れる者である。
第三章 沈黙の交渉術
言葉よりも雄弁なのは、沈黙である。私は多くの国で、通訳を介さずに無言の契約を交わしてきた。視線の交差、息のリズム、わずかな間(ま)。その沈黙の中に、相手の真意が宿る。ビジネスとは理屈ではなく、呼吸を合わせる芸術である。沈黙を共有できる相手こそ、真のパートナーである。
第四章 別れの美学
どんな取引にも終わりがある。だが、別れの瞬間こそ、その人の品格が現れる。北京のホテルのロビーで、老友が私に言った。「契約は終わっても、友情は終わらない」その一言が、すべてを物語っていた。別れを恐れぬ者だけが、再び出会う資格を持つ。彼らは皆、燃え尽きた山師たちであった。彼らの人生には、後顧の憂いがなかった。全力で生き、全てを賭け、最後まで笑って逝った。その姿こそ、私が尊敬してやまない“真のプロ”である。
終章 世界は再会の約束の地
旅は終わっても、縁は終わらない。十年後、二十年後、思いがけない地で再会することがある。その瞬間、時間も国境も消え、笑顔だけが残る。世界の山師たちは、皆、己の人生を賭けて掘り続けた。金を掘る者、名誉を掘る者、友情を掘る者。そして私は、人間を掘り続けてきた。旅の果てに、私が見つけた“最も貴重な鉱石”――それは、人の温もりである。人の心を掘ることこそ、真の採掘である。それが、私の「千夜一夜」に刻まれた最後の真理である。