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2025.11.17

レアメタル千夜一夜 第95夜 李紅衛同志と中国希土類開発の黎明

序章 広州交易会の出会い


 1978年の春、改革開放政策の風が吹き始めたばかりの中国・広州。私は初めて広州交易会の会場に立っていた。まだ人民服姿の商人たちが多く、外国人商社マンは珍しい存在であった。その時代、中国の有色金属業界には「李紅衛」という名が静かに知られ始めていた。彼は当時、有色金属総院に所属し、江西省南部に分布するイオン吸着型希土鉱石の研究開発を進めていた。


 希土類といえば、内モンゴル・包頭のバストネサイト鉱が世界的に有名であったが、放射性ウランを含有するため環境問題を抱えていた。対して、江西省尋烏や龍南の鉱石は放射性物質をほとんど含まず、抽出プロセスも比較的環境負荷が低い「清潔な希土鉱」として注目されていた。この新型資源にいち早く着目したのが、若き李紅衛同志である。彼はSolvent Extraction(溶媒抽出法)を用いた分離プロセスを構築し、中国の希土類産業に新たなページを開いた人物であった。


第一章 イオン吸着型希土の発見と革新


 1970年代後半、中国は依然として中央集権的な計画経済体制の下にあり、地方の資源開発には厳しい統制が敷かれていた。江西省の希土類鉱床も、長らく未着手のまま眠っていた。しかし李紅衛は、包頭型のモナザイト・バストネサイトに代わる新資源として、粘土層にイオン交換的に吸着している希土類に着目した。この「イオン吸着型希土」は、物理的な破砕や高温焼成を要さず、アンモニウム塩水溶液による穏やかな浸出で回収できるという画期的な特徴を持っていた。彼は江西省の龍南や尋烏に現地チームを派遣し、実験的なリーチング試験を繰り返した。


 結果、この新鉱床は「無放射性・低コスト・環境負荷低」の三拍子が揃った理想的な資源として評価され、中国希土類産業の新しい基盤となった。当時、外国人の入境は極めて制限されており、私も江西省の鉱山地域には立ち入ることができなかった。しかし、後年になって分かったことだが、私は1978年の広州交易会で李紅衛と同時期にその資源に関心を寄せていた。お互いの存在を知らぬまま、同じ目標に向かって歩んでいたのである。


第二章 包頭から江西へ ― 資源戦略の転換点


 中国の希土類産業は長らく包頭鉱に依存していた。包頭は鉄鋼副産物として希土を得る方式であったが、放射性元素を伴う問題が深刻化し、国際的な環境基準への対応が迫られていた。その時、国家は「南方へのシフト」を決定する。李紅衛が推進した江西省のイオン吸着型鉱床は、その戦略転換を象徴するものであった。


 彼の研究成果に基づき、1980年代半ばには龍南、信豊、広東梅県などで中規模の分離精製工場が相次いで建設された。李紅衛のリーダーシップの下、これらの工場では溶媒抽出(Solvent Extraction)を段階的に導入し、軽希土から重希土までを高純度で分離できる体制が整った。特にジスプロシウム(Dy)やテルビウム(Tb)などの重希土は、当時世界市場で極めて高値で取引されており、中国の外貨獲得の切り札となった。


第三章 日中の静かな協力


 1980年代、日本でも希土類需要が急増していた。とりわけ磁性材料、触媒、電子デバイスなどの分野で高純度希土類が不可欠となり、住友特殊金属の佐川眞人博士によるNdFeB(ネオジム鉄ボロン)磁石の発明はその象徴であった。私は当時、日本のレアメタル商社として、国内研究者と中国側の技術者を結びつける役割を担っていた。中国の希土類精製技術はまだ黎明期であり、日本の精密分離技術や分析手法が大きな助けとなった。表立った技術提携は政治的制約から不可能であったが、研究者同士の信頼に基づく「静かな協力」が確実に進行していた。


 有色金属総院の李紅衛同志をはじめ、中国科学院、包頭稀土研究所の研究者たちは、非公式ながら日本の分析機器メーカーや大学研究室とデータ交換を行い、希土類の純度・結晶構造・磁気特性の研究を共同で深化させた。私はその橋渡し役として、1980年代後半から90年代にかけて幾度も北京、包頭、南昌を往復した。公式文書ではなく、人間関係と信義の上に築かれた協力体制であった。今振り返れば、国家間の冷たい政治の陰で、研究者たちは静かに未来の技術連携の礎を築いていたのである。


第四章 21世紀の成果と李紅衛院士の遺産


 21世紀に入ると、中国は世界の希土類供給の九割を掌握する大国となった。その基盤を築いたのは、まさに李紅衛院士の功績である。彼は有色金属総院のリーダーとして、資源開発から製錬、分離、環境技術に至るまで体系的な研究ネットワークを構築した。彼の思想の根底にあったのは、「科学と国家戦略の融合」であった。単なる研究者ではなく、産業構造を設計できる科学官僚であったといえる。


 李紅衛は学問的成果を社会実装に結びつけ、希土類の安定供給体制を国家目標として実現した。同時に、環境問題にも先見性を示し、浸出液の再利用や残渣の中和処理など、今日のESG理念に通じる取り組みをいち早く導入していた。


終章 日中希土類研究の記憶


 思えば、私と李紅衛同志は、異なる国に生まれながらも同じ「希土」という夢を追っていた同志であった。江西省の鉱山で彼がサンプルを採取していた頃、私は広州で同じ鉱石の分析報告を入手していた。時代の壁が隔てたが、志は一つであった。のちに私は、佐川博士をはじめとする日本側研究者を中国の研究陣に紹介する機会を得た。


 そこから生まれた交流は、日中双方の技術発展に少なからぬ影響を与えたと自負している。李紅衛院士の名を聞くたび、あの時代の情熱と信頼の絆が甦る。今や希土類は、EV、風力発電、半導体といった先端産業を支える「未来の金属」である。その黎明期に、国境を越えて理想を追った李紅衛同志の功績は、歴史の中で決して埋もれてはならない。そして私自身も、あの広州交易会で始まった「希土の旅」の続きを、今も心の中で歩み続けているのである。

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