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2025.11.17

レアメタル千夜一夜 第96夜 北方希土から南方希土へ、そして世界へ ― 中国希土輸出とレアメタル覇権の舞台裏

今回は中国レアアース産業の黎明期から本格的発展期について報告してみたい。


 1990年代末、中国・内モンゴルの草原都市「包頭」を吹き抜ける冷たい風の中で、私は一つの歴史的な胎動を感じていた。かつては地味な地方鉱山にすぎなかった包頭稀土公司が、国家戦略の中枢として急成長し、やがて世界のレアアース市場を支配することになる。その変化は単なる産業の発展ではなく、「資源を制する者が世界を制す」という中国の国家戦略そのものの具現化であった。


I. 草原の鉱山が国家戦略に変わった日


 1980年代末、改革開放の号砲が鳴ると、中国政府は未開発だった希土資源を「戦略資源」として再定義した。包頭を中心に、江西・四川・広東、福建といった産地を国家主導で整備し、採掘から分離・製錬・磁性材料生産に至るまでを一貫管理する体制を構築した。私が初めて包頭や広州や江西を訪れた頃、工場の設備は旧式で、作業員は手作業に近い精製を行っていた。しかし90年代に入ると、国家投資と軍需研究所の技術支援によって急速に近代化が進み、包頭は一気に世界市場の中心に躍り出た。


 この時期、中国が導入したのが**輸出割当制度(Export Quota)**である。表向きは「資源の持続的利用」を目的とした政策であったが、実際には輸出統制を通じて国際価格を操作し、付加価値の高い最終製品を国内で生産することを狙っていた。国家計画委員会の認可を得た数社だけが輸出枠を持ち、包頭稀土公司や有色金属総公司(CNNC)が独占的地位を築いていったのである。


II. WTO加盟前夜 ― 静かな経済戦争の始まり そして何でもありのステルス合弁


 1990年代後半、世界の希土価格は比較的安定していたが、中国はその静寂の裏で次の一手を着実に打っていた。輸出割当制度による統制、外国資本の制限、国内製錬企業の保護──その全てが“見えない経済戦争”の布石であった。


 私はこの時期、香港企業と提携して広州南山海ゼノタイム合弁会社を設立した。中国本土に直接投資を行うと資金の移動が制限されるため、香港経由の「ステルス合弁」という形で取引を進めた。5年間にわたり事業は成功し、中国側の現場と日本の商社技術を結ぶ架け橋となったが、最終的には政治的支配構造の変化により、合弁は幕を閉じることになった。国家戦略の波に個人や企業の意志が呑み込まれる瞬間を、私は身をもって体験したのである。


III. WTO加盟 ― 名ばかりの自由化と新たな支配構造


 2001年、中国はWTO(世界貿易機関)に正式加盟した。世界はこれを「中国市場の開放」と捉えたが、実際には名ばかりの自由化であった。中国政府は環境保護や資源節約を名目に、輸出税・環境基準・操業許可制度を巧みに組み合わせ、実質的な統制を維持した。私はこの時期、日本企業の代表団を率いて包頭や広東の工場を訪問した。日本側は希土類の安定供給を、中国側は日本の高精度な製造技術を求めていた。両者の利害が一致した結果、**「資源と技術の交換」**という新しい協力関係が芽生えた。


 とくに注目すべきは、ネオジム磁石(NdFeB)の分野である。佐川眞人博士の発明した磁石技術は、中国の技術者たちに多大な影響を与えた。私はその技術交流の橋渡し役を担い、中国側の研究者が日本の精密加工を吸収し、やがて寧波や包頭に巨大な磁石産業クラスターを築き上げる様を目の当たりにした。


IV. 資源外交の幕開け ― 希土価格操作と国際摩擦


 WTO加盟後、中国の輸出政策はさらに精緻化した。2005年以降、輸出枠が段階的に削減されると、世界市場は慢性的な供給不安に見舞われた。特に2009〜2011年の「レアアースショック」では、希土価格が一時10倍に高騰し、世界の産業界を震撼させた。中国は「環境保護」を掲げつつ、実際には国家的な価格操作を行っていた。これはもはや経済政策ではなく、外交戦略であった。希土輸出を外交カードとして用い、特定国への圧力や報復の手段として機能させたのである。


 欧米企業が代替供給源を求めて右往左往する中、日本は冷静であった。既にリサイクル技術と代替材料研究を進めており、一定の自立性を保っていたからである。だがその裏で、商務部と日本の大手商社の間では、輸出枠配分を巡る熾烈な駆け引きが行われていた。資源外交の裏側では、静かな情報戦と人脈戦が展開されていたのである。


V. 共進化する日中産業 ― 対立と共存の力学


 レアメタル産業は、敵対と協調が常に同居する不思議な世界である。中国は資源を握り、日本は加工技術を持つ。互いに依存しながらも競い合う関係は、やがて「共進化(Co-evolution)」という新しい産業構造を生み出した。WTO加盟後の20年、中国の成長が日本のコスト削減をもたらし、日本の技術が中国の産業高度化を後押しした。これは単なる貿易関係ではなく、産業エコシステムの共存である。


 私は包頭の研究所で若い技術者たちと語り合った日のことを今も忘れない。彼らは「次の時代は資源の国から技術の国へ」と語り、その言葉どおり、彼らの多くが今や国際企業の経営者として世界市場で活躍している。レアメタルを巡る日中関係は、国家間の摩擦を超えた“産業進化の物語”でもあるのだ。


VI. 終章 ― 包頭の風に聞く未来


 包頭の草原を歩くと、風の中に今も金属の匂いが漂う。半世紀前、埃にまみれた鉱山で働いていた人々が、今や世界最先端のテクノロジーを支えている。その背後には、李紅衛院士の理想、佐川眞人博士の技術、そして無数の技術者と商人たちの努力が交錯している。


 中国のレアアース産業は、国家主導の重厚なピラミッド構造から、民間・市場・国家が複雑に絡み合う柔軟なネットワークへと変貌した。だが、その根底にあるのは変わらぬ国家戦略――「資源こそ力」という哲学である。私は、包頭で始まったこの物語が、今も世界の技術文明を支えていることに深い感慨を覚える。希土類は、単なる鉱石ではない。それは人間の知恵と野心、そして国の命運を映す鏡なのである。


結語:包頭から世界へ。


 草原の大地に根を下ろした中国のレアアースは、いまや地球規模の技術競争を左右する「見えざる覇権の鍵」となった。その風を感じた者として、私はレアアースの未来を確信している。

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