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2025.08.25

レアメタル千夜一夜 第70夜 終戦80年の今日、資源から見る日本の歩み

 2025年8月15日──終戦から80年という節目の日である。焼け野原から立ち上がった日本は、この八十年間、目覚ましい経済成長と国際的地位の向上を遂げた。しかし、その歩みを振り返れば、常に資源という不可欠の要素が影の主役であったことが分かる。石炭から石油、そしてレアメタルへと主役は変わり、時代ごとにその入手方法と外交戦略は進化を重ねてきた。資源の安定確保は国家存亡の根幹であり、産業発展と安全保障の両輪でもあった。


 本稿では、戦後の1945年から冷戦末期の1985年までを第一部、冷戦後の1986年から現代の2025年までを第二部として、日本産業史とレアメタルを軸に八十年の軌跡をたどる。そこには、数々の危機と、それを乗り越えるための創意と工夫、そして国際政治の荒波に挑む「資源立国」としての日本の姿が刻まれている。


第一部 1945〜1985年 廃墟から高度成長へ ― 資源立国への道


戦後復興と「資源ゼロ」の出発点


 1945年8月15日、日本は焦土と化し、都市は瓦礫と化していた。資源供給網は壊滅し、船舶も港湾も破壊され、輸入の再開すら容易ではなかった。国内では石炭こそ採掘可能であったが、石油、鉄鉱石、非鉄金属はほぼ全てを海外に依存せざるを得ない状況であった。敗戦直後の産業界に残されたのは、戦時中に酷使された老朽設備と、疲弊した労働力だけであった。しかし、この「資源ゼロ」の現実こそが、戦後日本の資源戦略を形づくる土台となった。すなわち、資源の安定確保を国是とし、海外依存を前提にした産業構造を築くという発想である。


 戦後初期、鉄鋼業の復興は急務であったが、鉄鉱石は豪州やインドから輸入するしかなかった。当時の輸送は戦後賠償の一環として供与された旧米軍輸送船に頼り、港湾荷役も人力主体であった。港の桟橋で、石炭や鉄鉱石の粉にまみれながら荷降ろしする労働者たちの姿は、「ゼロからの出発」という言葉を実感させた。


高度経済成長とエネルギー転換


 1950年代半ばから60年代にかけ、日本は高度経済成長期に突入した。鉄鋼、自動車、造船、家電といった重厚長大型産業は、膨大なエネルギーと金属を必要とした。1955年には鉄鋼生産量が1000万トンを超え、国土の港は鉄鉱石と原油を積んだ大型船で溢れかえった。


 この時代、日本は石炭から石油へのエネルギー転換を急速に進めた。石炭は国内で産出できたが、コストや発熱量の面で劣り、発電・産業用燃料の主役は石油に置き換えられた。中東からの原油輸入は急拡大し、ペルシャ湾岸諸国との関係が国家経済の生命線となった。同時に、鉄鉱石は豪州やブラジル、銅はチリやザンビア、アルミ原料のボーキサイトは豪州やインドネシアから輸入され、日本の港はまさに「世界の資源の玄関口」と化した。一方で、モリブデンやニッケル、クロムなどのレアメタルは特殊鋼需要とともに徐々に重要性を増していたが、まだ一般の関心を集めるほどではなかった。


オイルショックと資源外交の芽生え


 1973年の第一次オイルショックは、日本経済に深刻な打撃を与えた。OPECの原油価格引き上げは、エネルギー価格と物価を同時に押し上げ、企業も家計も混乱に陥った。1979年の第二次オイルショックで、日本は再び資源ナショナリズムの嵐に直面した。この二度の危機は、日本政府と産業界に資源外交の必要性を痛感させた。エネルギー・鉱物資源の長期契約、産地の多角化、国家備蓄制度の整備が進められた。例えばニッケルでは、カナダやニューカレドニアからの輸入ルートが確立され、クロムやマンガンも南アフリカやインドから安定的に調達する体制が整った。


 当時、筆者は商社マンとして中東やアフリカの鉱山を訪れたが、交渉の場では「資源は我々の主権であり、条件は我々が決める」という現地側の強い姿勢を肌で感じた。日本側は長期の購買契約やインフラ投資を条件に、ようやく供給を確保できたのである。


冷戦下の資源戦略


 冷戦期、日本は米国陣営の一員として資源調達を進めた。COCOM規制により共産圏からの輸入は制限され、西側同盟国との経済協力が重視された。鉄鉱石や石炭は豪州、カナダ、米国から、レアメタルは南アフリカや南米諸国からの調達が中心であった。1985年、プラザ合意により急激な円高が進行し、日本の購買力は増したが、製造拠点の海外移転が加速し、新たな資源リスクの時代が始まった。資源調達も「買うだけ」の時代から、海外鉱山への資本参加や操業管理を伴う時代へと移行する兆しが見えていた。


 日本は外交で資源交渉で叩かれれば叩かれるだけ産業界は技術面や経済面で強くなった。特に中小企業は工夫を凝らしたアイデアや思い切った実行力で危機を乗り切った。しかしながらバブル期の後には歯を食いしばっても自ずと限界はある。1989年の中国の天安門事件や1991年の旧ソ連の崩壊後には世界が地球規模で大変化を余儀なくされた。


第二部は冷戦終結とグローバル資源時代について書いていきたい。

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