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2025.08.18
プロローグ:1993年、激動の世界とレアアース
1993年、冷戦終結後の世界は新たな秩序形成に向けて揺れ動いていた。ソビエト連邦崩壊の余波は依然として残っており、東欧諸国は市場経済への移行に苦悩していた。中国は改革開放政策を推進し、驚異的な経済成長を遂げつつあったが、同時に貧富の格差拡大や環境問題といった課題も抱えていた。
この時期に鄧小平の南巡講話が出された。鄧小平が1992年1月から2月にかけて武漢、深圳、珠海、上海などを視察し、重要な声明を発表した一連の行動であるが、国民を煽るように「中東には石油があるが、中国には希土類がある」と言ったとされている。逆に言えば当時の中国は他の産業は見劣りしていたので鄧小平がふと漏らした言葉を大袈裟に喧伝したまでである。
このような時代背景の中、レアアースは徐々にその重要性を増しつつあった。日本にとっても飢餓輸出で豊富に供給される中国レアアースに対して先端技術を惜しげもなく出した時期でもあった。その後ハイテク産業の発展に伴い、レアアースの需要は高まり、資源確保の重要性が認識され始めていた。しかし、レアアース産業は依然として黎明期にあり、その将来像は未だ不透明であった。環境問題、資源ナショナリズム、国際的な競争激化など、レアアースを取り巻く状況は複雑さを増していくことになるのである。
第一章:中国レアアースの勃興と群雄割拠の時代
1993年、中国のレアアース産業は大きな転換期を迎えていた。改革開放政策の進展により、市場メカニズムが導入され、多くの地方企業がレアアース市場に参入した。内モンゴル自治区の白雲鄂博鉱山は依然として世界最大規模のレアアース鉱山であったが、その他にも1000ヶ所以上の小規模鉱山が乱立し、地方企業がレアアース権益獲得にしのぎを削る群雄割拠の時代であった。生産過剰による価格下落、環境規制の不備による環境汚染、違法採掘の横行、密輸など、様々な問題が噴出していた。それでも政府としては輸出窓口を4ヶ所に絞り長期的なレアアース戦略を構築した。筆者の1番の友人である有色研究総院の李紅衛院士が江西省の尋烏鉱や龍南鉱を開発したのもこの時期である。
第二章:ソ連崩壊とレアアース供給源の多角化
1991年のソビエト連邦崩壊は、世界経済に大きな影響を与えた。東欧諸国は市場経済への移行に苦しみ、ロシア経済も混乱状態に陥っていた。レアアース市場においても、ソ連崩壊は大きな変化をもたらした。旧ソ連からのレアアース供給が不安定になったため、各国は新たな供給源の確保に奔走した。筆者は、中国のレアアース戦略が国家管理へと移行する兆候をいち早く察知し、代替供給源の確保に動き出した。オーストラリア、中央アジア、エストニア、インド、フランス、アメリカ、ブラジルなど、世界中を駆け巡り、レアアース資源の探査に没頭した。イオン交換膜法のロシアの高純度レアアース分離塩類は中国よりも高品質であった。
第三章:コラ半島とソリカムスク工場:旧ソ連のレアメタル拠点
筆者は、ソ連崩壊後の混乱期にコラ半島のローパライト鉱石に着目した。ローパライトはレアアースだけでなく、チタン、タンタル、ニオブなどのレアメタルを含む複雑鉱石である。一方、ウラル地方のソリカムスク工場は、旧ソ連時代からマグネシウム生産の拠点であり、チタン製造に必要な金属マグネシウムもここで生産されていた。クロール法によるチタン製造プロセスでは、還元工程で金属マグネシウムが使用される。ソリカムスク工場は、ロシア最大のマグネシウム工場であるがレアアースを含む様々なレアメタル原料の処理拠点でもあった。その意味では旧ソ連に於ける産業のサプライチェーンは機能していた。その後、筆者が中央アジア各国に調査に時間を掛けたのも1993年頃である。
第四章:放射性物質を含むレアアース:取り扱いの難しさ
コラ半島のローパライト鉱石は、粗分離後、ソリカムスク工場で加工され、炭酸希土や粗希土酸化物としてカザフスタンやエストニアの工場に供給されていた。しかし、これらの原料にはウランやトリウムなどの放射性物質が含まれており、取り扱いには細心の注意が必要であった。放射性物質の管理は国際的な規制の対象であり、厳格な安全基準が設けられている。特に、輸送や保管においては、放射線被曝のリスクを最小限に抑えるための対策が不可欠であった。その意味ではロシアの方が安全管理について中国よりも進んでいた。
さて64夜のPart❷ではいよいよ「レアアース原料の世界漂流事件」を報告する。乞うご期待である。