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2025.07.08

レアメタル千夜一夜 第52夜 中国レアアースの歴史

 最近の中国レアアース情報が氾濫する中でその歴史を明確にしておく必要を感じている。筆者は1974年からレアアース産業との関わりを持った。1978年には初めて広州交易会に参加して五金公司や化工公司からレアアース取引の可能性を探った。その時初めて甘粛省の塩化希土をサンプル輸入したが当時はフランスのローヌプーランか米国マウンテンパス鉱山の輸入が主流で中国レアアースは見向かれることはなかった。


[世界を席巻する中国レアアース]:資源、技術、そして世界戦略への半世紀を語る。


(1970年代):資源の胎動と黎明期の動向


 1970年代、中国のレアアース開発は、内モンゴル自治区の白雲鄂博(バイヤンオボー)鉱山が、世界有数のレアアース埋蔵量を持つことが確認されたことに始まる。この時期、レアアースは鉄鉱石採掘の副産物として扱われ、その価値は十分に認識されていなかった。ロシア人が粘りのある鉄鉱石を試験的に偶然発見したのだ。利用は主に国内の基礎産業にとどまり、黎明期ゆえの未成熟な段階にあった。中国にとって、この広大な資源は、将来の産業発展の礎となる可能性を秘めていたが、その真価はまだ世界に知られていなかった。資源開発は始まったばかりであり、技術開発は緒についたばかりであった。


 まさにこの時期に筆者は中国のレアアースに興味を持った。1979年に上海のレアアース工場を参観する機会があった。名前は躍龍工場と記憶するが今は閉鎖されたと聞く。躍龍工場では重い鉛製の外套を着て工場を回ったが研究室で思いがけない光景を見た。研究者たちの手が放射能汚染の為に真っ白に被曝していた。筆者は現場主義者で何事も現場を検証しないと気が済まないので見てはならないものまで観察することになった。


(1980-1985年):生産技術の確立と輸出への胎動


 広州交易会には毎年春と秋に参加したが1981年には江西省のイオン吸着型の希土類濃縮サンプルを入手した。当時はまだ溶媒抽出技術は確立してなかったので日本の分離技術を江西省冶金公司経由で希土類工場に技術輸出を始めた。サンプルは対外的に譲渡禁止であったが何度も交渉する内に運よく入手できた。


 1980年代前半、中国はレアアースの分離・精製技術の基礎を確立し、生産能力を拡大した。国家の強力な支援を受け、各地にレアアース関連の研究機関が設立され、技術開発への投資が加速した。この時期、中国はレアアースを単なる副産物から、戦略的な鉱物資源として位置づけ始めた。この時期に外国企業で初めて江西省の希土鉱山を見学する機会に恵まれた。当然外国人の立ち入り禁止地区であったが日本の溶媒抽出技術とのバーターを条件に見学を許可してくれた。当時の金属新聞に訪問記を投稿した後にアメリカ大使館から呼び出されて驚いたことが懐かしい。


(1985-1990年):飢餓輸出と国際市場への参入


 1989年の天安門事件は一時的にレアアース貿易は停滞したが2000年には何事もなかったようにレアアース貿易は元に戻った。しかし、20年後の2010年9月7日に尖閣諸島中国漁船衝突事件が勃発した結果、中国はレアアースの対日輸出の実質的な禁輸を始めた。尖閣の領土問題とレアアース貿易は何の関係もないが中国船長の逮捕に対する報復措置にレアアースの輸出禁止を利用したのだ。


 話は元に戻るが、1980年代後半、中国は低価格を武器に、国際市場へのレアアース輸出を本格化させた。この段階では、主にレアアース精鉱や一次加工品が輸出されており、「飢餓輸出」と称されるほど、採算度外視で大量に供給された。日本は当時、電子産業の発展に伴いレアアースの需要が急増しており、中国からの安定供給は日本のレアアース業界にとって不可欠であった。この時期、日本の技術協力が中国のレアアース生産技術の向上に貢献した側面もあった。中国は日本の先進的な精製技術や応用技術を積極的に導入し、生産効率と品質の向上を図った。これにより、中国は世界のレアアース市場における主要な供給国としての地位を確立し始めた。


(1990-1995年):技術力の向上と高純度化への挑戦


 1990年代前半、中国はレアアースの精製・加工技術において急速に経験を積み、技術力を向上させた。海外からの技術導入も積極的に進められ、特に日本からの技術協力は、高純度レアアースの生産技術確立に大きく貢献した。この時期、中国は単なる資源輸出国から、より高付加価値な製品を生産できる国へと変貌を遂げ始めた。これにより、中国のレアアースは、より多様な産業分野で利用される可能性を広げた。


(1995-2000年):環境問題の顕在化と規制への萌芽


 1990年代後半、レアアースの採掘・精製に伴う環境汚染(酸性排水、放射性物質など)が深刻な問題として顕在化し始めた。政府は一部の環境規制を導入したが、当時の中国は経済発展を優先する傾向が強く、生産優先の姿勢が続いた。この時期、中国のレアアース産業は、生産量と技術力の向上という光と、環境負荷という影を併せ持つようになった。


(2000-2005年):高付加価値化への転換と国内産業の育成


 2000年代前半、中国はレアアースの高付加価値製品への利用(磁石、発光体など)を奨励し始めた。国内での研究開発投資が増加し、技術レベルは着実に向上した。日本のレアアース関連企業が原料輸入の安定化の為に過剰と言っても良いほどのknow-howを教えた時期であった。この動きは、中国がレアアースを単なる原材料として輸出するだけでなく、国内で加工し、より高い価値を付加する産業構造への転換を目指し始めたことを示している。この時期、中国のレアアース産業は、国内需要の拡大と国際競争力の強化を両立させる方向へと舵を切った。


(2005-2010年):環境規制の強化と輸出管理の萌芽


 2000年代後半、環境保護の意識が国際的に高まる中で、中国国内でも老朽化した高汚染の生産施設の閉鎖や、より厳しい環境規制が導入され始めた。これが、後の輸出規制の一因ともなった。この時期、中国のレアアース政策は、環境保護と持続可能な開発を重視する方向へとシフトし始めた。これにより、世界のレアアース市場における中国の供給戦略に変化の兆しが現れ始めた。


(2010-2015年):レアアースショックと産業再編の加速


 2010年代前半、「レアアースショック」を契機に、中国政府はレアアース産業の再編・統合を加速させた。小規模で環境負荷の高い企業を整理し、大規模な国有企業グループへの集約を進めた。これにより、価格決定力と環境管理能力を高めようとした。この時期、中国は「中国北方稀土(集団)高科技股份有限公司」、「中国稀有稀土股份有限公司」、「中国五鉱稀土股份有限公司」、「広東省稀土産業集団有限公司」の四大稀土グループを中心に、国内産業の統合を進め、国家による戦略的な管理を強化し始めた。これは、単なる資源輸出から、国家戦略物資としてのレアアースの管理へと、政策の重心が大きく転換したことを意味する。


(2015-2020年):技術革新の加速と知的財産権の重視


 2010年代後半、レアアースの研究開発投資が国家レベルで強化され、特に高性能磁石や新素材分野での技術革新が進んだ。知的財産権の保護も強く意識され始め、海外への技術流出を防ぐ動きも出始めた。中国は、単なるレアアース供給国から、レアアース応用製品の技術先進国へとシフトしようと明確な意思を示した。この時期、中国はレアアース関連技術において、世界の最先端を走る国の一つとなり、その影響力はますます強まった。2016年には中国はライセンスを持つグループを中国北方稀土集団高科技と中国南方稀土集団、チャイナルコ、厦門タングステン、広東稀土、五鉱稀土の6社に再編された。当局は戦略的鉱物資源の管理向上と同業界の持続性を確保するため、6グループに年間の生産枠を付与。18年は全体で12万トン相当のレアアース酸化物の採掘枠が与えられた。2017年には採掘枠は10万5000トンだった。


2020-2025年:戦略的支配と技術覇権の確立


 2020年代前半、中国はレアアース産業を国家戦略物資として位置づけ、その支配力をさらに強化した。大規模な国有企業「中国稀土集団有限公司」の設立は、その象徴である。これにより、レアアースの採掘、精製、分離、そして応用製品に至るまでの一貫したサプライチェーンを国家の管理下に置いた。


 2020年代中盤、中国はレアアース関連技術、特に高性能磁石や触媒などの分野で、世界をリードする技術力を確立することを目指している。研究開発投資をさらに拡大し、次世代レアアース技術や代替材料技術の開発にも注力することで、将来にわたる技術覇権を確保しようとしている。環境に配慮した採掘・精製技術の開発も進められているが、その一方で、国際社会からの透明性や公正性への懸念も残る。中国のレアアース戦略は、世界のハイテク産業に不可欠な資源の供給と、その応用技術において、揺るぎない支配力を確立することを目指したのである。


 以上が筆者のレアアースとの関わりの歴史である。思いがけない筆者自身のレアアースの歴史も半世紀となったことに多くの感慨深い想い出がある。

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