お知らせ
2025.06.10
(ニックフレンチの光と影)
ウォー・ゲンの社長であるコリン・ウィリアムズは、まさに理想のリーダーと呼ぶにふさわしい人物である。彼が率いるチームは、それぞれの個性が際立つ猛者揃いだが、コリンはその強みを最大限に引き出し、チーム全体のパフォーマンスを向上させている。部下一人ひとりの癖を理解し、それを活かした役割分担とコミュニケーションを徹底することで、個々の能力を最大限に発揮させる手腕は見事としか言いようがない。レアメタルビジネスという常にリスクと隣り合わせの環境で、コリンは卓越した成果を上げ続けているのだ。
ウォー・ゲンのチームメンバーは、確かに一筋縄ではいかない連中ばかりだ。しかし、彼らは皆、極めて高い能力を有しており、それがウォー・ゲンの強みとなっている。特にレアメタルビジネスにおいては、時に大胆な判断が求められる。そこでコリンは、部下たちの個性を理解し、彼らがそれぞれの専門性を最大限に発揮できるような環境を整えている。Wogenは、電子金属、貴金属、貴金属、軽金属、マイナーメタル、フェロアロイ、鉱物など、あらゆる非鉄金属を取り扱っていたが、WOGENの主要トレーダーは以下であった。
Nick French, Alan Carr, Doug Hulse, Doug Hunter, Anthony Lippman, Alan Carr, Nigel Tuna, Dominic Boyle
ニックフレンチ氏はコバルトのレジェンドだ。アランカー氏はモリブデンとタングステンが専門で日本駐在だった。 ダグハルス氏は主にLMEのベースメタルやフェロアロイが守備範囲だった。ダグハンター氏は全てのマイナーメタルを専門としていた。。アンソニー・リップマン氏はスカンジウムの世界市場を支配していた。ナイジェル・ツゥナ氏はWOGENを卒業してメタルジャーナリストとしてMetal Pageを設立した。ドミニク・ボイル氏は日本人女性と結婚して日本駐在として活躍した。
(ニック・フレンチの光と影)
チームの中でも特に異彩を放つのが、オックスフォード大学出身の秀才、ニック・フレンチである。彼の知識と分析力は、WOGENにとって計り知れない資産だ。彼は市場データの分析に長け、レアメタルの価格動向や市場トレンドを予測する能力に優れていた。これにより、チームは常に情報に基づいた意思決定が可能となり、リスクを最小限に抑えることができる。また、彼の学識と論理的思考は、長期的なビジネス戦略の策定においても重要な役割を果たした。市場の変化に迅速に対応するための戦略を立案し、チームの方向性を示すことができるのは、彼の戦略的思考あってこそだ。さらに、彼はその知識を活かして他のチームメンバーへの教育やトレーニングも行い、チーム全体のスキルアップに貢献していた。彼の分析力は、投資や取引におけるリスク評価にも役立ち、潜在的なリスクを事前に特定し、適切な対応策を講じることで、大きな損失を未然に防ぐことを可能にしているのだ。ニック・フレンチは、WOGENのチームにとって不可欠な存在であることは間違いない。
しかし、人間である以上、完璧などありえない。レアメタルビジネスの特性上、時には予測が外れ、判断ミスを犯すこともある。私もまた、彼のそうした一面に触れる機会があった。
(コバルトオプション取引での邂逅)
1989年、日本がバブルの絶頂期にあった頃、私はレアメタルのひとつであるコバルトのオプション取引に取り組んだことがある。オプション取引とは、手数料を支払って相場が上がれば契約を履行し、下がった場合には履行しないという特殊な取引だ。LME(ロンドン金属取引所)で取引されている銅、亜鉛、鉛、アルミニウム、ニッケルなどは先物ヘッジが可能だが、コバルトやモリブデン、タングステンといったレアメタルはヘッジ行為ができない。そこで私は、ニック・フレンチとコバルトのヘッジ取引を締結することになったのだ。
彼は当時、ウォー・ゲンの副社長を務めていたが、当時のコバルト取引において彼が世界で一番の知識と経験を持っていたと確信している。彼はLME先物のような市場機能をコバルト取引に持ち込み、オプションを利用した先物ヘッジを始めた。つまり、今で言うデリバティブのようなもので、不安定かつ不明瞭な市場の変動の中で、顧客が求めるヘッジとリスクテイキングの両方を受け入れてくれたのだ。
この取引は、私の思惑通りに相場が動けば莫大な利益を得ることができ、逆にニックはその損害を負担することになる。LMEを利用する取引は一般的だが、コバルトやモリブデン、タングステンの取引でリスクを積極的に引き受けるトレーダーは皆無だった。レアメタルビジネスは市況の変化が大きく、当時、世界でニック・フレンチと千夜一夜39夜のラミー・バイスフィッシュの二人だけが、そのようなリスクに挑戦していたと記憶している。
結果として、1989年当時のコバルト相場は爆騰し、私は数億円の利益を手にすることになった。
一方、ニックは多大な損失を被った。数ヶ月後、ニックはウォー・ゲンを退社することになったが、彼は私に対してあくまでも紳士的な態度を貫いた。コリン社長との関係はぎくしゃくしていたが、レアメタルビジネスがハイリスク・ハイリターンの世界であることを考えれば、それは仕方のないことであった。
私も多くの失敗を経験してきたが、WOGENとの取引においては、なぜか成功経験しか思い出せない。それは、コリン・ウィリアムズという傑出したリーダーが、ニック・フレンチをはじめとする個性豊かな部下たちの能力を最大限に引き出し、リスクを恐れずに挑戦し続ける環境を築いていたからに他ならないだろう。そして彼らのビジネス哲学と個性とリスクの調和を気づかせてくれたからだと確信している。