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2025.05.27
レアメタル千夜一夜も硬い話ばかりが続いたので、面白くて、気が遠くなるような昔のレアメタルビジネスについて話をしてみたい。2005年にチタンスポンジが2ドルから35ドルまで暴騰したときに筆者の古い友人からオファーの電話がかかってきた。誰かと思ったらラミーバイスフィッシュ氏であった。アメリカのへフロリダに住む伝説のレアメタルトレーダーであった。当時は鉄鋼添加剤のスポンジチタンが極度に不足してきたので価格が急騰したのだ。日本市場でも品薄で手に入らない。そこで仕方ないので契約することにした。ところが契約後にいろいろ話を聞いてみると、なんと10年前に筆者が彼に二足三文で売ったスポンジチタンだったのだ。
彼はマイナーメタル業界の天才と言われている伝説的なトレーダーでカドミウムのビジネスでは世界を席巻し、セレンやテルルやすべてのマイナーメタルの市場を裏で支配した男であった。1990年代はコバルトの取引で世界を相手に大勝負をしたトレーダーだったが、その時もたった1人で勝負を挑み、結局世界で彼の1人勝ちになったという曰く付きの男である。
レアメタル業界における彼の評判は最悪で業界全員に嫌われていた。しかし絶対に彼は失敗をしないので誰もがラミーバイスフィッシュを尊敬して止まないと言う男であった。彼の買い値は大変安くて、売り戻し価格を35ドルの相場を32ドルで売ったから彼の利益は軽くみて540万米ドルになったはずだ。
仮に筆者が10年間在庫していたら
筆者が540万ドルの利益を享受したわけだが仮に売らずに持っていることはあり得ない。これがレアメタルのビジネスの醍醐味ではあるがまさに探検志向でなければ生きていけないのが当時のレアメタル業界であった。
余談になるが、彼は筆者と同じ年回りで移民として米国に来るが、故郷のイスラエルからサンフランシスコに出てきた時期と筆者がロサンゼルスに住んだ時期が偶々同じで、移民としてイスラエルからサンフランシスコに来たわけだ。彼は苦学してスタンフォード大学を卒業したインテリであった。卒業してたまたま彼がサンフランシスコで入社した会社がメタルスクラップの会社だったので、レアメタル業界の縁ができたと言うふうに本人は言っていた。
筆者の知る限りではレアメタル業界で成功した経営者には、日本でもスクラップ業界の出身者が結構多い。筆者自身も欧米のスクラップ業界で取引したのは、ユダヤ系の英米人技術者やフランス人やベルギー人トレーダーが多かったがほぼ全員ユダヤ系であった。
資源市場や取引手法や技術の全てを理解していなければ、このスクラップ業界では生きていけないことを当時はつぶさに感じたわけである。筆者自身がレアメタルを扱うにしても、化学の知識、冶金の知識、機械設備の知識、スクラップ回収のメカニズム、さらに販売市場と価格動向もすべてについての専門知識がないと通用しないこういった世界であった。ラミー氏は、まさに身体1つでアメリカの土地を踏み、当時はレアメタル業界で有数の億万長者で君臨したわけである。価格決定メカニズムは、基本的には相対取引で情報戦を制した探検志向を持っていなければ、仕事に勝てないまさに男らしいビジネスモデルでもあった。レアメタル取引の現場では、一見ギャンブルみたいなところがあったが、日本的な発想の安定思考だけでは、当時は生きていけなくて利益が何もないということになる。そんなへ古い90年代の懐かしい古き良き時代の想い出である。
(セピア色のレアメタル業界)
そんな過去のビジネスの実情と、それを取り巻くダイナミックな環境を現代の日本のレアメタルマンにも伝えたくて正確に描写したいと思った次第だ。
特に、20年前(2005年)におけるチタンスポンジの価格上昇と、それに関連する取引のエピソードを通じて、レアメタル取引の魅力とワクワク感を伝えたかった次第である。
(ラミー・バイスフィッシュの裏の物語)
ラミー・バイスフィッシュは、レアメタル業界において伝説的なトレーダーであった。彼はアメリカではレアメタルトレーダーとして活躍し、特にカドミウム、セレン、テルルといったマイナーメタル市場を支配したことで知られていたが実は日本が大好きだった。
筆者の家にも何度か来てくれて家族付き合いをした。
1990年代には、コバルト市場で大きな取引を行い、世界を相手に大勝負をし、結果的に勝利を収めたが実質日本市場との取引が大半だった。今は亡き日立金属の宮村氏とも取引があったはずだ。この成功により、レアメタル業界での名声を確立し、世界的に尊敬されるレジェンドになったのだ。
(探検志向のレアメタルビジネス)
レアメタル取引は、しばしばギャンブルのような要素を含んでいる。そのため、探検志向と情報戦を制する能力が求められる。市場価格の急激な変動や供給の不確実性が日常的であり、安定志向だけでは生き残れない世界である。バイスフィッシュのようなトレーダーは、情報を駆使し、リスクを取ることで大きな利益を上げてきた。
(スクラップ業界との関係)
レアメタル業界で成功するためには、スクラップ業界との関係が重要であった。多くの成功者がスクラップ業界の出身であり、資源市場や技術について深い知識を持っていた。筆者自身も、日本の特金(スクラップ)業界での経験を通じて、レアメタル業界での成功を収めた。この業界では、化学品や機械設備、さらには市場の価格動向についての広範な知識が必要とされる。
(レアメタル取引の魅力とリスク)
このエッセイは、レアメタル取引の魅力とリスクを象徴するものである。一見ギャンブルのような取引でありながら、深い専門知識と情報の活用が求められる。日本的な安定思考だけでは通用しない、ダイナミックでチャレンジングなビジネスである。このような時代の取引は、筆者にとって古き良き思い出であり、当時の業界の成長と変化を物語っている。
この話からは、レアメタル業界がいかにして変化し、発展してきたかを感じ取って欲しい。技術革新や市場の透明性向上が進む現代にはない空気に包まれていたのだ。