(レアメタルに魅せられて)
2015年6月、73歳でこの世を去ったWOGEN Resources創設者、コリン・ウィリアムズ氏。彼はレアメタル取引の世界において、最もその名を馳せたトレーダーの一人であった。彼の生涯は、単なるビジネスマンのそれにとどまらず、稀代の先見性と独自の「英国流の正義」によって、未踏の道を切り拓いた軌跡として記憶されるべきである。
(ビジネスにおける「フェア」の真義)
コリン氏のビジネススタイルは、時に周囲を驚かせた。Part1にも触れたがWOGEN設立以前、彼は香港と広州を結ぶ電信ラインを独占し、ロンドン金属取引所の価格情報を相手に知らせずに交渉を進め、連戦連勝を収めた。
筆者が「アンフェアではないか」と問うと、彼は「Not illegal(ルール違反ではない)」と顔を歪めて笑った。。彼にとって、ビジネスはルールの中で最大限の自由を享受する、ある種のゲームであった。この英国的な発想は、アメリカのトランプ大統領の交渉術とは一線を画す。トランプ氏が中国のレアアース禁輸カードに即座に屈した例を見るにつけ、コリン氏のような真のプロから見れば、その交渉術はいかにも未熟に映ったことであろう。
一方、日本人の交渉術は「性善説」「農耕民族の村社会」「交渉スキルの独善性」という三つの問題点を抱えていると筆者は指摘したい。
コンプライアンスを絶対視する日本人に対し、英国流は法律の抜け穴をもルールの一部と捉えるため、日本人は往々にして不利益を被ることが多い。グローバルな交渉においては、日本人の道徳観や倫理観が裏目に出ることを肝に銘じるべきだと、筆者はコリン氏との経験を通して学んだ。
(国交なき中国との取引に命を賭けて)
コリン氏が中国との貿易に本格的に乗り出したのは、ニクソン大統領と毛沢東主席による歴史的な会談よりもさらに以前、1960年代に遡る。当時の共産党支配下の中国市場に深く関わった西洋人は極めて稀であり、スパイ容疑をかけられたこともあったはずである。しかし、彼の行動は単なる投機に留まらなかった。中国の文化や歴史に対する深い理解と誠実な姿勢に裏打ちされたものであり、未知の市場に対し真摯な態度で臨み、強固な信頼関係を築き上げた。彼の卓越した手腕は、まさにプロフェッショナルの真髄を示すものであった。
(戦略物資のトレーディングにおけるWOGENの役割)
WOGEN社は、単に金属を仕入れて販売する「トレーディング会社」ではなかった。彼らが取り扱ったのは、タングステン、モリブデン、タンタル、ニオブ、チタン、バナジウムといった、航空宇宙、電子機器、エネルギー、医療といった最先端分野に不可欠な戦略物資である。これらの希少金属の円滑な流通は、国家安全保障や基幹産業の存亡に直結する重要な使命を帯びていた。WOGEN社は、価格変動の激しさや供給不安、国際政治リスクといった障壁が常に立ちはだかる中で、顧客の個別のニーズに合わせた「カスタムメイドの調達解決策」を提示し、サプライチェーン全体の安定供給体制を構築する役割を担っていたのである。
(日本にレアメタル専門商社を設立する礎)
筆者はWOGEN社の企業文化に触れる中で、「レアメタルとは何か」「真の商社マンとは何か」という問いに対する明確な答えを見出すことができた。そして、日本で初めてのレアメタル専門商社を創業する決意を固めた際、その背中を力強く押したのは、他ならぬコリン・ウィリアムズ氏の存在であった。彼から学んだことは、単なる金属の知識やビジネスの進め方だけではない。誠実さ、異文化への深い敬意、高い責任感、そして常にグローバルな視点を持つことの重要性。これら全てが融合したプロフェッショナルとしての生き方こそ、筆者が今日に至るまで大切にし続けてきた人生の基盤となっている。
(ハイリスク・ハイリターンに賭ける英国魂)
コリン氏はWOGENの取扱品目におけるリスク管理に神経質な一面もあった。しかし、1980年代から90年代にかけて、WOGENのナンバー2であったニック・フレンチのような派手な投機ビジネスを好むトレーダーもいた。筆者はニックと共にコバルトのオプション取引で大儲けした経験がある一方で、ニック自身は大きな損失を出したこともあったという。レアメタルビジネスが持つハイリスク・ハイリターンの側面を象徴するエピソードである。
コリン氏は思慮深く、ニックは投機的。WOGENの多様なトレーダーたちとの交流は、筆者にとって貴重な学びの場となった。ニック・フレンチをはじめとするWOGENのトレーダーたちは、今もレアメタル業界をリードする錚々たる顔ぶれである。彼らのレアメタルストーリーもまた、いつか語りたいと思っている。
(英国紳士にとってのビジネスと人生)
コリン氏は非常勤会長となってからも、チタン製マウンテンバイクで出勤し、本社のサンクチュアリーに顔を出していた。しかし、チタンビジネス以外にはあまり口出ししなくなり、60代半ばにして息子の世代に経営権を渡していった。
彼にとって、ビジネスも人生も、まるでラグビーゲームのようなものだったのかもしれない。
ルールの中で全力を尽くし、時にはリスクを取り、そして次の世代へとバトンを渡していく。そんな彼の生き様は、まさに英国紳士の風格を漂わせていた。
心から尊敬する英国紳士、コリン・ウィリアムズ氏の冥福を祈り、彼が切り拓いた道がこれからも多くのビジネスパーソンの指針となることを願ってやまない。