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2026.01.09
第一章 日本新金属会長の遺言 ― プリモルスク鉱山の再生
1990年初頭、日本新金属の会長が逝去した。葬儀の最中、専務の安藤氏が私の肩を叩いた。「ロシアのプリモルスクを再開発してもらえないか」声は震えていたが、瞳には確かな覚悟があった。プリモルスクはソ連崩壊の余波で操業を停止していたタングステン鉱山である。国家補助が途絶え、技術者も職を失い、現場は半ば放棄状態にあった。会長は生前、「日本の技術でこの鉱山を再び動かせ」と語っていたという。まさに“遺言”であった。
私はその言葉に胸を打たれた。天安門事件で中国市場を失った私にとって、シベリアは次なる希望の地だった。世界が混乱している今こそ、新しい鉱脈を掘り当てる時だ――そう直感した。
第二章 崩壊する帝国 ― 経済混乱のただ中で
1991年、ソ連邦は瓦解し、経済は地獄の釜のように崩れ落ちていた。ルーブルは一夜にして紙屑となり、国営工場は賃金を払えず、地方都市ではパンと燃料を求める行列が延々と続いた。銀行は閉鎖され、企業間取引は「現物交換」に逆戻りした。私はモスクワに滞在しながら、この混乱の渦を肌で感じていた。通貨が機能せず、契約も意味を失った世界――しかし、それは資本主義黎明期の原野にも似たチャンスの時代でもあった。
現地のレドメット(非鉄金属企業)の友人メドベージェフ氏は言った。「国家が崩れても、鉱石は地中に眠っている。掘る者がいれば、再び国は立つ。」彼の言葉は、私の胸に深く刺さった。
第三章 氷原を越えて ― シベリア鉄道の果てに
私はレニングラードからシベリア鉄道に乗り込み、ウラジオストクへ向かった。車窓の外は永遠の雪原。白樺の林が凍りつき、村々の煙突からは黒い煙がまっすぐに立ち上っていた。列車の食堂車で、鉱山労働者の男がウォッカを差し出した。「日本人か?俺たちは工場を追われた。だが、シベリアにはまだ仕事がある。」その言葉に、私は確信を得た。人間の底力は、極寒の地でこそ試される。
ウラジオストクからヴォストークに到着すると、吹雪の中で若い鉱山技師シェペタ氏が出迎えた。「ようこそ、ここは“地の果て”だ。」錆びた看板、止まった発電機、凍りついた重機――それでも坑内の奥にはタングステンの青い光がわずかに輝いていた。
第四章 ルーブル暴落と物々交換の時代
ロシア経済は完全に麻痺していた。紙幣は信用を失い、商取引は“物対物”で成立していた。私は日本の商社ネットワークを使い、タングステン精鉱と交換に食料・医薬品・燃料・日本製機械を送る仕組みを構築した。特に木工加工設備を貸し出した。プリモルスクにはエゾ松やカラ松が豊富だった。タングステンが輸出できるまではバーター取引で加工材を輸入した。会計も決済もない世界で、唯一の価値は「信頼」であった。
ある政治家 が私に言った。「国家がなくても商売はできる。だが、信頼がなければ国は立たない。」私はその瞬間、商人としての信念を新たにした。革命では国は動かない。だが商取引は人を動かし、希望を灯す。日本ではバブルが崩壊し、円高と株安の嵐が吹き荒れていた。しかし私は、凍えるロシアの片隅で「商機」という名の炎を見つけたのである。
第五章 氷の下の炎 ― プリモルスク再建の決断
プリモルスク鉱山は極東沿海州に位置し、戦前から知られるタングステン鉱床である。旧ソ連の技術では採算が取れず放棄されていたが、日本の機械と融資で再生可能と判断した。私は安藤専務に提案した。「先ずは融資購買から始めましょう。ロシアのインフレに企業体力が負けないよう、鉱石を担保に資金を回転させる。」この方式が功を奏し、現地の労働者たちも再び鉱山へ戻ってきた。
ウォッカと黒パンを分け合いながら、彼らは語った。「日本人は信じられる。あんたが来なければ、この鉱山は死んでいた。」その言葉を聞いた瞬間、私は涙をこらえきれなかった。
第六章 ロシア資源と北方領土 ― 歴史の裂け目で見た好機
経済混乱の最中、私は日本政府にも一つの進言をした。「今こそロシア資源の買収と北方領土交渉の好機である」と。ソ連崩壊直後のロシアは、国家資産を外貨と引き換えに手放そうとしていた。この時期に日本が果敢に動けば、資源と外交の両面で大きな成果が得られると確信していた。私は外務省の旧知の官僚に会い、極東開発と領土交渉のリンク策を提案した。しかし、霞が関は慎重すぎた。「ロシアは不安定すぎる」「国内世論が許さない」――結果、歴史のチャンスは静かに過ぎ去った。後年になって私は痛感した。政治は時を逃すが、山師は時を掴む。氷の下に眠る鉱脈を見抜く力こそ、時代の羅針盤なのだ。
終章 シベリアの風に刻む羅針盤
1991年12月、赤い旗が降ろされ、ロシア連邦の三色旗が掲げられた。私はウラジオストクでその瞬間を聞いた。「帝国の終焉」と「新しい夜明け」が交錯する音だった。雪原を吹く風は冷たくも澄み渡っていた。その風を胸いっぱいに吸い込みながら、私は思った。――文明とは、どれだけ寒い夜にも火を絶やさぬことだ。
天安門の炎、ベルリンの歓声、シベリアの静寂。それらすべてが、私という山師の羅針盤を形づくった。資源とは地中の鉱石だけではない。人の心にも、時代の裂け目にも、光る鉱脈が眠っている。私はその輝きを信じ、再び旅立った。氷の果てに、新しい火を求めて――。