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2026.01.05

レアメタル千夜一夜 第108夜 激動の1989年を生き抜く ― 天安門からベルリンの壁崩壊まで

――歴史の奔流のただ中で、私は世界の変動を掘り当てた――


第一章 昭和の終焉と平成の夜明け


 1989年――それはまさに時代の裂け目であった。1月7日、昭和天皇崩御。翌8日、明仁皇太子の即位により元号は「平成」と改まった。テレビ画面に映る重々しい葬列を見ながら、私は北京行きの航空券を手にしていた。国の象徴が変わる日、私のレアメタル人生にもまた、大きな転換点が待っていたのである。


 同年4月、日本では初の消費税(3%)が導入され、経済は狂騒のバブル期へ突入した。12月29日、日経平均株価は史上最高値38,915円87銭を記録。街は華やかで、商社マンの鞄には夢と欲望が詰まっていた。私のビジネスも絶頂期にあり、中国からのろレアアース、モリブデン・タングステン・アンチモンの取引は順調、毎月が新記録であった。だが、好事魔多し。バブルの熱気の裏では、すでに歴史の地殻変動が静かに始まっていた。


第二章 天安門の砲声を聞く ― 北京・京倫飯店の夜


 1989年6月初旬、私は北京に滞在していた。宿は長安街沿いの京倫飯店(日航ホテル)。取引先との会談を終えた夜、遠くから地鳴りのような音が響いた。窓を開けると、人民解放軍の戦車部隊が天安門広場に向かって進軍していた。指揮官は楊尚昆将軍と聞いた。私はホテルの窓から、その隊列を凝視した。夜空に光が走り、乾いた銃声が連続して響いた。空気が一瞬にして凍りつく。まさに歴史が動く瞬間であった。


 胡耀邦元総書記の死を悼む学生たちの集会は、言論の自由と反腐敗を訴える民主化運動に発展していた。しかし6月4日未明、軍は戦車を繰り出し、学生と市民を容赦なく掃討した。その夜の北京は異様だった。街灯が落とされ、車の音も消え、ただ遠くで火の手が上がっていた。私の心臓は激しく脈打ち、窓を閉める手が震えていた。


 翌朝、ホテルのロビーには外国人ビジネスマンが集まり、アメリカのCNN衛星放送を食い入るように見つめていた。画面の向こうでは、戦車が学生の列を押し潰していた。日本の駐在員たちは慌ただしく帰国便を探していたが、私は逃げ遅れた。北京首都空港は閉鎖され、私は一週間、京倫飯店に籠城するしかなかった。その間、外の世界は沈黙していた。新聞は発行を停止し、電話も繋がらない。ただ、軍靴の音と夜明け前の静寂が、この国の未来を暗示していた。あのとき私は悟った――中国の改革開放は、一夜にして凍りつく国である。


第三章 崩れゆく壁、再びの出発 ― 東ドイツ・ライプツィヒの幻


 1989年11月。私はベルリンの壁が崩壊する直前、東ドイツのライプツィヒで開催された貿易商談会にいた。レアメタルの新市場を求めて、東欧の鉱山開発を模索していたのである。だが会場に行っても、担当者の姿はなかった。「西側へ逃げたらしい」――現地の通訳が囁いた。


 その頃、東ドイツ政府は「旅行の自由化」を発表。11月9日夜、民衆がベルリンの検問所へ殺到し、国境警備隊はついにバリケードを開いた。テレビに映る光景は信じがたいものであった。若者たちはハンマーで壁を叩き壊し、歓声と涙が交錯していた。東西冷戦を象徴したコンクリートの壁は、こうして一夜にして瓦解したのである。


 私はホテルのTVから、群衆が歌い踊る姿を見つめた。街の空気は高揚し、人々の顔には自由の光が宿っていた。その瞬間、私は感じた――独裁も壁も、永遠ではない。そしてこの解放の熱気こそ、経済の新時代を呼ぶ胎動だと直感した。


第四章 冷戦の終焉と世界の再編


 1989年の冬、地中海のマルタ島で、アメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長が会談した。世界はこの「マルタ会談」をもって、正式に冷戦の終結を宣言した。鉄のカーテンが開き、世界の市場が一斉に動き出した。東欧ではビロード革命が、ルーマニアではチャウシェスク政権が倒れ、ポーランドやハンガリーでも民主化が進んだ。


 こうして私は、中国から撤退し、ロシア・東欧・ヨーロッパ各国へと活動の軸足を移した。ソ連邦の鉱山、ハンガリーやポーランドの製錬所、チェコのタングステン鉱――新たなビジネスの鉱脈を求めて、私は再び旅立った。時代の嵐が吹くほど、商機は潜む。それが山師の本能である。


第五章 天災と芸能界の訃報、時代の哀歌


 1989年10月、サンフランシスコをマグニチュード6.9の大地震が襲った。地球そのものが揺れているような年であった。そして日本では、美空ひばりが6月に、松田優作が11月に相次いでこの世を去った。昭和の象徴的存在が消え、時代の空気が変わっていった。


 ニュースを聞きながら、北京とベルリンでの出来事が頭をよぎった。国家も、英雄も、そして個人の栄華も、永遠ではない。しかし、崩壊の中にこそ再生がある――そう信じた。私にとって1989年は「終わり」と「始まり」が同時に訪れた年だった。


第六章 歴史の渦中に立つ ― 山師としての宿命


 中国・天安門では戦車を見、ベルリンでは壁の崩壊を見た。それは偶然ではなく、運命に導かれた巡り合わせだったのかもしれない。時代の転換点に、なぜか自分はいつも居合わせる。それは山師の嗅覚であり、危機の裏に潜むチャンスを掘り当てる本能である。


 天安門事件で世界が凍りついても、私のビジネスは止まらなかった。むしろ市場は乱高下し、レアメタルの相場は日々変動した。寝る間を惜しんで相場を追い、電話で各国と交渉を続けた。結果的に1989年は、市場最大の売上と利益を記録した年となった。


 それでも心の奥では、忘れ難い光景がある。京倫飯店の窓から見た、戦車の列と、燃える長安街。ベルリンの夜空を彩る歓喜の花火。あの瞬間、私は思った――歴史の転換点に立ち会うこと、それ自体が人生の至高の授業である。


終章 ピンチをチャンスに変える時代の羅針盤


 1989年という激動の年は、私のレアメタル人生を根底から揺さぶった。だが、崩壊と混乱の中でこそ、次の市場が生まれる。中国が閉ざされればロシアへ、ロシアが不安定なら東欧へ――。山師の旅は常に「動く羅針盤」であった。


 昭和が終わり、平成が始まる。壁が崩れ、冷戦が終わる。だが、世界がどう変わろうとも、人の情熱と挑戦心だけは変わらない。その信念を胸に、私は再び新しい地平を目指した。――1989年、私は時代の炎に照らされた山師のアルケミストであった。

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