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2025.12.05

レアメタル千夜一夜 第101夜 南山海ゼノタイム事件とステルス合弁の終焉

第一章 1990年代、南中国の熱狂


 1990年代の中国は、まさにレアメタル狂騒の時代であった。改革開放の風が広がり、地方政府の許認可権が緩やかに分散されるなか、地方鉱山の開発ブームが一気に吹き荒れた。広東省、福建省、江西省、湖南省――どこを見渡しても、希土類鉱石やモリブデン、タングステンの採掘現場が乱立していた。中でも南山海鉱山のゼノタイム鉱床は、イットリウムを多く含む高品位鉱として、一夜にして「金の卵」と化した。


 私は当時、香港経由でこの南山海鉱山と関わることになった。取引形態は表向きには中国側との「合弁事業」であったが、実態は“ステルス合弁”――つまり、中国本土の名義を借りて、実質的な運営と資金決済は香港法人を通じて行う方式であった。このやり方は、当時の商習慣としては珍しくなかった。なにしろ中国の鉱山業はまだ国家計画経済の残滓を引きずっており、民間資本の自由な活動には法的整備が追いついていなかった。ゆえに「名義は国営、実態は民営」という灰色の領域が、当時のレアメタル業界を支えていたのである。


第二章 鄭総経理という男


 この南山海鉱山の裏側で暗躍していたのが、広東冶金公司の鄭総経理であった。彼は典型的な「紅いエリート」でありながら、同時に極めて国際的な人物でもあった。驚くべきことに、彼はスウェーデンとの二重国籍を持っていたのである。家族はストックホルムに住み、送金の決済口座も北欧の銀行を通じて処理していた。


 鄭総経理は表向きには地方政府の承認を受けて、ゼノタイム鉱石の採掘・精製を進めていた。しかし実際には、中央政府の鉱山開発許可を受けていなかった。広東省政府の印章さえあれば十分という時代であり、彼のような“大物”に楯突く地方官僚はいなかった。


 香港側の合弁パートナーとして私の会社もこの案件に関わっていたが、鄭氏は常に笑顔で「問題ない、全て許可済みだ」と言い切っていた。彼の言葉を疑う者はいなかった。実際、事業は順調に進み、イットリウム酸化物の対日輸出は中国全体の3分の2に達する勢いで拡大した。当時、私たちはまさに“時代の追い風”を受けていたのである。


第三章 悪銭見につかず ― 環境問題の爆発


 しかし、好景気の裏側には必ず陰が潜んでいる。1990年代半ば、人民政府は急速に拡大する環境破壊に強い危機感を抱き、突如として鉱山規制の大号令を発した。問題となったのは、ゼノタイムに含まれるウラン・トリウムなど放射性物質の残土処理であった。採掘後に残る赤褐色の廃泥は、放射線量が高く、適切な処理を行わなければ住民の健康被害を招く恐れがあった。


 ところが、南山海鉱山ではこの残土を川沿いにそのまま投棄していたことが発覚した。地元農民の通報をきっかけに環境局が動き、冶金公司の責任者として鄭総経理に逮捕状が出された。だが、鄭氏はすでに一歩先を読んでいた。香港経由で密かに出国し、そのままスウェーデンへ亡命してしまったのである。人民政府は激怒したが、国際法上、彼を追及する手立てはほとんどなかった。


 この事件で、南山海鉱山は即座に閉鎖され、関係する地方政府の幹部が次々に左遷された。香港側の合弁企業――つまり私が関わっていたステルス合弁も、巻き添えを食って清算を余儀なくされた。


第四章 ステルス合弁の崩壊と静かな幕引き


 合弁といっても、実態は香港法人による輸出入管理と決済業務であり、鉱山の所有権や環境責任はすべて中国側にあった。そのため法的には私の会社には直接の刑事責任はなかった。しかし、現地の鉱山会社が倒産したため、出資金と売掛金はすべて回収不能となった。実損としては全損に等しい額である。


 もっとも、過去5年間に十分な利益を確保していたため、最終的には「帳簿上の損失」として処理できた。香港の会社法の下では、ステルス合弁は形式的に清算し、倒産として幕を引くことが可能だった。事件はやがて「一件落着」となり、新聞報道もほとんどなかった。レアアース取引の世界では、この種の“灰色の事件”がいくらでも存在した。まさに中国的資本主義の黎明期に特有の“野放図な成功と崩壊”であった。


第五章 悪銭は身につかず ― 教訓としての南山海事件


 この一連の出来事を振り返ると、「悪銭身につかず」という格言の重みを改めて痛感する。5年間にわたる急成長と巨額の利益は、一瞬にして雲散霧消した。南山海鉱山で採掘されたゼノタイムは、わずか数年で環境規制の網にかかり、イットリウム酸化物の対日輸出は激減した。それまでの輸出実績の三分の二を支えていた鉱山が消えたのである。


 私はこの事件を境に、中国での合弁事業や投資案件から一切手を引く決断を下した。その後も中国経済は爆発的な発展を遂げ、国家資本主義が盤石な体制を築いていくが、私の心の中には、あの鄭総経理の笑顔と南山海の赤土がいつまでも残像として焼き付いている。


 「金属を掘るより、人の心を掘るほうが難しい」と、あの頃の私は痛感していた。レアメタルという冷たい鉱石の世界の中で、人間の欲と知恵と欺瞞が複雑に絡み合う――それこそが、この100夜を超えた“レアメタル千夜一夜”の真のテーマなのかもしれない。


終章 そして静かな誓いへ


 南山海事件から三十年が経った今でも、私は当時の香港湾仔の風景を思い出す。摩天楼の明かりの向こうに、鄭総経理の幻影が浮かぶ。もし彼が法の下で正しく責任を果たしていたなら、中国のレアアース産業史に残る功労者となっていたであろう。だが、彼の選んだのは“逃亡”という最悪の結末だった。


 私はその後、日本の資源戦略を世界に広める使命に立ち返り、レアメタルを通じて「正しい国際協調」の道を模索してきた。それは、あの苦い経験が教えてくれた“代償の知恵”である。
悪銭は消えても、教訓は残る。南山海の赤い土は、今も私の心の底で沈黙のまま輝いている。

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