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2025.12.05
池ポチャ交渉人、北京に沈む
1990年代初頭、中国とのモリブデン取引は一つの転換期を迎えていた。私が福建省の化工公司と築いた信頼関係も、やがて北京の中央企業である「化工総公司」に吸収されることになり、地方とのダイレクト取引の妙味が失われつつあった。
地方分権の波がようやく芽生え始めた中国だったが、依然として北京の官僚機構がすべてを仕切る時代である。現場の熱意よりも、印鑑と肩書がものを言う世界だった。そんな中で、1992年の年間契約交渉が始まった。
私は例年どおり「Metals Week Dealer Oxide 平均相場」での長期契約を提案していたが、相手の化工総公司は値上げ要求を強硬に主張して譲らなかった。その価格差、わずか5%。だが、この5%が両国の商社マンを三日三晩の攻防に導いたのである。
冷たい笑みの朱副総経理
交渉相手は、朱恵龍副総経理。インテリ風で眼鏡の奥に光る理詰めの論理、そして氷のような笑み。こちらの情熱的な説得も「我們考慮看看(考えておきます)」の一言で終わる。どうも人情より数字で動くタイプのようだった。私は最後の一手を北京の有名ホテル、「池のある大飯店」で打つことにした。名物の鯉が泳ぐ店内の池を眺めながら、穏やかな雰囲気の中で交渉を決着させる――そんな狙いだった。
だが、その“池”が、まさか契約の勝敗を左右するとは、この時誰が想像しただろうか。バシャーン! 山師、北京に沈むその日、私は部下のF君と共に現地入りした。胃は痛み、神経は張り詰め、モリブデンの単価と同じくらい繊細な心境だった。F君が宴席の会場へ案内してくれる。太っているF君が前にいたので視野がやや遮られ、照明も薄暗い。次の瞬間――。「部長! 危ないっ!」という叫びも間に合わず、私は見事にバシャーンと池へ真っ逆さま。
冷たい水が全身を包み、茫然と顔を上げると、周囲は阿鼻叫喚。10人の中国側ホスト、朱副総経理、ホテルの支配人までもが駆け寄り、大パニックになった。鯉も驚いたのか、あたり一面が波立っている。私は顎を強打し、痛みよりも恥ずかしさで顔が火照った。着ていたスーツはずぶ濡れ、靴の中には鯉のウロコが一枚。あの時ほど「水に流したい」という言葉の意味を痛感した瞬間はない。
人民服の貿易商、北京を笑わせる
ホテル側はすぐに救出チームを呼び、私は社長自らに引き上げられた。その時の社長の第一声が「大丈夫か? 顎が割れてるぞ!」であった。宴会は中止――のはずだった。だが、私の中の山師魂が許さなかった。「交渉はまだ終わっていない。池に落ちたぐらいで契約を流すわけにはいかない!」
支配人が慌てて用意してくれたのは、なぜか人民服。サイズは合わず、袖は短く、裾は長い。まるで「北京のチャップリン」である。しかしこの即席のコスチュームが、後に奇跡を呼ぶことになる。
茅台酒の笑いが運んだ契約成立
宴会が再開されると、最初の乾杯は沈黙のうちに行われた。私が「池の神様に感謝します」と真面目に挨拶をすると、全員がプッと吹き出した。朱副総経理でさえ、初めて口角を上げた。どうやらこの人民服姿の日本人部長がツボに入ったらしい。茅台酒が三巡する頃には、笑いと同情が入り混じり、場の空気は一変した。「日本朋友は、池から這い上がっても笑っている。これぞ本当のビジネスマンだ!」そんな声が上がり、乾杯のたびに笑いが広がる。
結局、翌朝、朱副総経理は静かに言った。「○○さん、あなたの条件で結構です。池の神様がそう言っている。」こうして、わずか5%の価格差で揉めたモリブデン契約は、私の提示価格100%で成立したのである。
古き良き中国貿易の時代
思えば、あの頃の中国貿易には、まだ「人情とユーモア」が生きていた。契約は紙の上で決まるものではなく、人と人との信頼で結ばれる時代だった。宴会の席での一言、笑い、乾杯――それらが交渉の最後の“決め手”だった。今のように電子契約やオンライン会議で交渉が進む時代には、池に落ちて契約がまとまるような物語はもう生まれないだろう。
だが、私はあの夜、人民服に身を包みながら感じたのだ。――取引とは、結局「相手の心に残ること」だと。朱恵龍さんは後に、私にこう言った。「あなたは初めて池で信用を得た日本人です。」その言葉が、いまも耳に残る。
小池の教訓
モリブデンの長期契約を締結したあの日から三十余年。当時の部下F君とは今でも酒を飲むたびに、この話で笑い合う。「社長、あれは交渉術じゃなくて“落下術”でしたね!」私は笑って答える。「いや、“沈んで浮かぶ交渉術”さ。」
商社マン人生で学んだことは数多いが、あの一件ほど鮮やかに“恥と笑いが契約を結ぶ”ということを体現した出来事はない。もし次に生まれ変わっても、また池に落ちてもいい。その代わり、また100%の契約を取ってみせる。
― あとがき ―
今でも古い友人たちが集まると、必ずこの話題で盛り上がる。
「モリブデンよりも沈み方が上手かった」
「人民服が似合いすぎて中国人かと思った」
「いや、あれは池の神に愛された男だった」
笑いの中に、懐かしき“古き良き中国貿易”の温もりが蘇る。あの夜の池の水は、冷たかったが、人の情は温かかった。そして今も私は思う――人生でたまには池に落ちるのも、悪くない。そしていまだに顎には名誉の傷跡が残っている。