お知らせ
2025.11.28
一、江南の陶都・宜興 ― 美と土の故郷
江蘇省宜興(イーシン)は、上海から西へ約150キロメートル、揚子江の南岸に位置する江南地方の中心地である。蘇州や無錫に隣接し、水と緑に恵まれたこの地は、中国でも有数の風光明媚な田園地帯として知られている。白壁に黒瓦、柳の枝が垂れる水路沿いの街並みは、まさに江南情緒そのものであり、古来より多くの文人墨客がこの地を訪れては詩を詠んだ。
宜興のもう一つの顔は「陶都」である。紫砂壺に代表される伝統的な茶器の名産地であり、明代以来、優れた陶土と熟練の技で「紫砂陶芸」の文化を守り続けてきた。ここでは土と火を操る陶工の魂が、何百年も息づいている。
私の友人、蒋泉龍(ジャン・チュエンロン)氏もまた、代々この地で陶芸を営む家系に生まれた男であった。彼の祖父は名工として知られ、家は地域の素封家として尊敬を集めていた。しかし、時代は彼に厳しい運命を突きつけることになる。
二、文化大革命の嵐 ― 陶工の子が“下放青年”に
1966年に始まった文化大革命は、中国全土を混乱の渦に巻き込んだ。地主階級や資産家の家族は「反革命分子」として糾弾され、財産は没収され、子弟は地方農村への下放を命じられた。蒋泉龍も例外ではなく、若くして教育の機会を奪われ、着の身着のまま農村へ送られた。
彼の下放先は江西省に近い山間部であった。だが、そこで彼は意外な転機を迎える。農村の共同工場で陶磁器の窯の築炉作業を手伝ううちに、火と粘土の科学に深い興味を持つようになったのである。炎の温度が数百度変わるだけで陶器の質感が変わる。彼はその感覚を身体で覚え、炉を操る技を身につけていった。
やがて文化大革命が終息し、蒋泉龍は故郷・宜興に帰還する。かつての名家も財産を失い、家も荒れ果てていた。だが、彼の手には新しい技術と経験が残っていた。再び陶磁器の窯を築き始めた彼は、やがてその“火の技術”を別の分野で活かすことになる。
三、改革開放と「土の科学」 ― レアアースへの転身
1978年、鄧小平による改革開放政策が始まり、中国全土に“自由経済”の風が吹き始めた。民間企業の設立が解禁され、地方でも「やる気と技術さえあれば誰でも成功できる」という時代が到来した。
当時、宜興ではまだ陶器産業が中心であったが、近隣の江西省・広東省では新たな「地下の財宝」――希土類(レアアース)が注目され始めていた。磁石、蛍光体、触媒など、ハイテク産業に欠かせないこの元素群は、まだ世界的に採掘技術が限られており、アメリカのモリコープ社が独占していた。
「陶土も希土も、同じ土の中から生まれる」。
そう語った蒋泉龍は、築炉技術を応用して希土類の精製設備づくりに挑戦した。彼が最初に設立したのは、家族経営に近い小規模なレアアース工場だった。粘土鉱石を酸で溶かし、沈殿と焼成を繰り返して酸化物を取り出す。陶器の窯を改造した手づくりの炉から、白い煙が立ち上った。
1980年代初頭、中国政府がレアアース輸出を奨励すると、世界中の商社が宜興や包頭、贛州を訪れ始めた。蒋泉龍の工場にも、日本、韓国、台湾、香港のバイヤーが殺到し、ドル札が飛び交った。レアアースは“金より儲かる土”と呼ばれた。蒋泉龍は瞬く間に地元の英雄となり、工場を拡張し、従業員を数百人規模に増やしていった。
四、チャイナ・レアアース・ブームの到来
1980年代半ばから90年代にかけて、中国は世界最大のレアアース供給国として台頭した。その背景には三つの要因があった。 第一に、圧倒的な資源量である。中国南部の粘土型鉱床は埋蔵量が豊富で、しかも露天掘りで容易に採掘できた。特に重希土類のイットリウム、テルビウム、ジスプロシウムが多く含まれ、世界市場の70%以上を占めた。
第二に、極端な低コストである。人件費はアメリカの10分の1以下、環境規制もほぼ皆無。酸液を川に流しても誰も咎めない。採算性は抜群で、輸出価格はモリコープ社の3分の1であった。
第三に、地方政府の“自由放任”である。当時の中国は「富める者から先に豊かになれ」というスローガンを掲げ、地方政府は税収を増やすために民間工場の設立を奨励した。これにより、各地にレアアース工場が乱立し、“希土長者”が続出した。
蒋泉龍の宜興工場もその波に乗り、80年代後半には江蘇省最大の希土類企業に成長した。彼は香港の投資家と提携し、ついに香港市場への上場を果たす。彼の大邸宅には外国商社の幹部が連日出入りし、庭には孔雀が歩いていたという。まさに中国版“レアアース成金”であった。
五、繁栄の影 ― 環境と権力の相関
だが、繁栄の陰には必ず代償がある。酸液や放射性廃棄物を大量に排出するレアアース精製工程は、宜興の美しい田園を蝕み始めた。水田の稲は枯れ、地下水は濁り、周辺の川では魚が姿を消した。環境当局が調査に入ろうとすると、蒋泉龍は笑って言った。
「心配いらん。政治の炉も、温度さえわかれば制御できる。」
彼は地元の党幹部と結び、政治局のメンバーにまで上り詰めていた。金と権力の炎は、陶工の火よりも激しかった。環境問題は握り潰され、工場は拡大を続けた。やがて宜興周辺は“希土の煙都”と呼ばれるほどに煙が立ちこめるようになった。
六、国家による収束 ― ドリームの終焉
2000年代に入ると、中国政府はレアアース産業の無秩序な拡大に歯止めをかけ始めた。環境汚染、価格競争、密輸、違法採掘――そのすべてが社会問題となっていた。中央政府は地方工場を整理統合し、国有企業に一本化する政策を打ち出した。これにより、民間の希土長者たちは次々と姿を消した。蒋泉龍の工場も、やがて国家企業に吸収され、彼自身は顧問の肩書を残して表舞台を去った。
華やかな邸宅の門は閉ざされ、かつての豪奢な庭も静寂に包まれた。だが、宜興の人々は今でも語る――
「蒋泉龍は、土から黄金を掘り出した男だった」と。
七、レアアース・ドリームの本質
なぜ中国にレアアース・ブームが起きたのか――それは単なる資源の話ではない。文化大革命で押さえつけられたエネルギーが、改革開放によって一気に噴き出した“民族の爆発”であった。貧しさから這い上がろうとする執念、技術を手にした者が栄華をつかむ時代――それが1980年代中国のリアルであった。レアアースは「国家の宝」と呼ばれるようになったが、その始まりは蒋泉龍のような地方の職人たちの汗と野心の結晶である。
八、江南に残る炎 ― 私の記憶として
私は数年後、蒋泉龍の工場を訪ねた。かつての陶都の田園に、高い煙突が立ち並び、酸の匂いが漂っていた。彼は笑顔で私を迎え、「あなたの国の技術がなければ、ここまで来られなかった」と言った。
同じ世代を生きた男として、彼の生き様には心を打たれるものがあった。文化革命の荒野から立ち上がり、改革開放の波に乗って富を築いた。彼はまさに“江南の火を操る男”であり、陶器の土を金に変えた錬金術師であった。今でも彼がどこかで元気に炎を見つめているなら、もう一度だけ会ってみたい。そして、あの時の笑顔で語り合いたい。
――「土と火は、時代が変わっても嘘をつかない」と。