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2026.01.05
第一章 交易会は戦場にして商いの大舞台である
広州交易会の会場に足を踏み入れると、そこは単なる商談の場ではなかった。人の声、紙の擦れる音、そして爆竹の残り香が混じり合い、まるで大きな舞台の幕が上がるようであった。私は旭化成の担当者として、中国対外貿易部の傘下である土産公司(China National Native Produce & Animal By-Products Import & Export Corporation)との交渉に臨んだ。
コットンリンターの価格決定、納期、品質保証――すべてが国家の厳しい条件のもとで行われた。数字の世界では、情けも容赦もない。だが、交渉の背後には、国家同士の信頼という見えない糸が張り詰めていた。
第二章 言葉の裏にある人間力――沈黙の中の交渉術
交渉は一見無表情で進むが?中国側の責任者は寡黙で、何を考えているのか読めない。通訳を介した会話は、まるで政治交渉のように慎重であった。「その価格では赤字だ。」「いや、日本の品質にはそれだけの価値がある。」両者の主張は平行線をたどる。対外貿易部の担当者は超エリートだから議論では負ける。
しかし、交渉の合間にふと見せる笑顔や、茶杯を差し出す仕草の中に、互いの人間力が滲み出ていた。私はそこで学んだ。――交渉とは言葉ではなく、最終的には心の温度で進むものである。
第三章 宴会の夜――七言絶句と両国の民謡の調べ
取引の最終日、緊張に満ちた昼の最終交渉が終わると、夜は一転して、文化の饗宴が始まった。円卓の上には白酒(バイジュウ)と紹興酒、テーブルを囲む顔には安堵と笑みが浮かぶ。やがて誰かが筆を取り、半紙の上に七言絶句を揮毫した。「商路千里同舟渡 友情万代共天長」――商路千里にして同舟渡り、友情万代にして天と共に長し。
私は即興で返した。「東海波清日中情 花開春満広州城」――東海波清くして日中の情あり、花開き春は広州城に満つ。拍手が湧き、誰かが琵琶を奏でる。私は日本の民謡「ソーラン節」を歌い、中国側は「茉莉花(モーリーファー)」で応えた。その夜、交易会の会場は、国境を越えた友情の宴となった。
第四章 文化が結ぶ信頼――数字を超えた経済交渉
旭化成の飯島部長は交渉では厳格そのものであったが、宴席では筆を取り、中国側と漢詩を交わす教養人でもあった。土産公司の責任者たちは、毛筆の運びと白酒の注ぎ方で互いの敬意を表した。
その場には政治も商売も超えた“人と人の絆”が確かにあった。私は悟った。――数字の裏にこそ、人間の真価がある。価格表には書けない「信頼」が、次の契約を生む最大の資産なのだ。この夜ほど、交渉の美学を感じたことはなかった。経済とは、突き詰めれば「文化の共有」なのだと。
第五章 国家の胎動――静かな変革の鼓動
1978年の中国は、まだ改革開放の黎明期にあった。しかし、その会場に集う人々の表情は、すでに未来を見据えていた。彼らの目の奥にあったのは、「追いつく」という執念であり、「学ぶ」という誠実さであった。
ノートを片手に日本製品の説明を真剣に聞き、翌朝には改良案を持って再訪する。この粘り強さと知的好奇心が、やがて中国を「製造の巨人」へと変貌させる原動力となった。私はその胎動を、会場の喧騒の中で確かに感じていた。それは資源でも技術でもなく、“人間のエネルギー”という、最も強靭な資本であった。
終章 詩と握手の記憶――日中友好の未来へ
あれから幾十年が過ぎた。中国は予想通りの大発展を遂げ、かつての取引先は世界市場の主役へと躍り出た。だが、あの広州交易会の夜、筆を交わし、歌を響かせた人々の笑顔こそ、真の「日中友好」の原点である。
商売は利益を生むが、文化は信頼を育てる。七言絶句の墨の香りと、白酒の熱さの中に、私は国家が動き出す音を聞いた。――取引は終わっても、友情は終わらない。それが、あの夜の最大の契約であった。今も心から願う。日中両国の絆が、再び春風のように香り立つことを。そして、詩と交渉が共に未来を照らす時代が訪れることを。