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2025.12.25

レアメタル千夜一夜 第105夜 「交易会のドンドン、パチパチ、ピョンピョン」―広州に鳴り響いた復興の爆音―

爆竹が鳴り響く国境の朝


 1978年の春、第50回広州交易会。その年の中国はまだ文化大革命の煤煙を払いきれず、街には紅衛兵の残像が色濃く漂っていた。私は香港から深圳・羅湖を越え、初めて「中華人民共和国」の門をくぐった。羅湖の橋は、わずか数メートルの国境線である。だが、その一歩が私の人生を変えた。橋のこちら側にはネオンと英語が溢れ、向こう側には人民服と赤い旗が翻っていた。


 線路沿いに並ぶ木造の詰所からは拡声器の声が響く。「同志たちよ、外国人に笑顔を!」だが、検問所の目は冷たく、街全体がまだ政治の緊張に縛られていた。国境を抜けた途端、埃っぽい風が頬を打つ。舗装されぬ道、錆びたトラック、裸足で荷を運ぶ若者たち。その中に、赤い腕章を巻いた元紅衛兵の少年がいた。彼は荷台の上から、我々外国人バイヤーの革靴を羨ましそうに見つめていた。
――革命の理想の果てに、貧困の現実があった。


 だが、その瞳には光があった。未来を見つめる“原石”の輝きである。私はその瞬間、直感した。
**「この国は、いつか必ず立ち上がる」**と。


交易会の開幕――ドンドン!パチパチ!ピョンピョン!


 広州交易会の開幕を告げるのは、銃声のような爆竹の轟きであった。「ドンドン!」「パチパチ!」「ピョンピョン!」――火薬の煙が空を覆い、太鼓が鳴り響く。まるで大地が再生の産声を上げているようだった。


 当時、外貨を稼ぐ中国の“看板商品”は三つの奇妙な貿易品目であった。それが「花火(ドンドン)」「甘栗(パチパチ)」「ウサギ肉(ピョンピョン)」である。誰が名付けたのかは知らないが、外国商人の間ではこの三つを総称して「ドンドン・パチパチ・ピョンピョン」と呼んでいた。主に左翼系の政治バイヤーへの配慮輸出品であった。


 花火は戦後の貧困を吹き飛ばす夢の象徴。甘栗は焼け跡の市場で庶民が求めた甘い希望。ウサギ肉は栄養失調の時代に残された数少ないタンパク源。それぞれが“生き延びるための商品”であり、中国経済復活の象徴であった。私は爆竹の煙の中で思った。この取引の喧噪こそ、時代の鼓動だ。


交易会の現場――政治と商売のせめぎ合い


 第50回交易会の会場は、かつて軍事博覧会として使われていた古い建物である。壁には毛沢東語録が貼られ、壇上には「中外友好万歳」の垂れ幕。だが、商談テーブルの下では、人民元とドルの数字が静かに火花を散らしていた。


 商談相手は対外貿易公司のエリート担当者たち。一見、素朴で無口だが、彼らの奥にはしたたかな知恵が光っていた。「我々の製品は、まだ粗末だ。しかし、将来は世界一になる。」その口ぶりには、革命の余韻よりも商人の野心が勝っていた。外では、裸足の少年が爆竹の殻を拾い集めていた。彼らは貧しいが、どこか誇らしげであった。その姿が、のちに「世界の工場」と呼ばれる国の原点である。


香料と薬草の香りの中で――異文化の商戦


 私が最初に扱ったのは、レアメタルではなかった。香料の原料、コットンリンター、生薬、漢方。いずれも中国が誇る“知恵と香りの産物”であった。会場の一角では、桂皮と八角の香りが漂い、向かいではラベンダー油の瓶が光る。商談は英語と電卓の戦いであった。ノートには為替レートと運賃がびっしりと書き込まれ、計算機の音が小気味よく鳴る。


 中国側の担当者は人民服のポケットから古びた筆記具を取り出し、紙に漢数字で「一万」「五千」と書く。その筆圧の強さに、商売への執念が滲んでいた。私はその交渉の最中に悟った。「文化の違いは障壁ではなく、商売の醍醐味である」と。


コットンリンターの修羅場――胃薬を飲んだ夜


 旭化成の飯島部長に随行し、中国土産公司との交渉に臨んだ。商品はコットンリンター――ベンベルグレーヨンの原料である。1トンあたり数ドルの価格差が、契約総額を数億円単位で動かす。飯島部長は“鬼の交渉人”として知られ、私は通訳の横でひたすらノートを取る。相手の沈黙、ため息、視線の動き――そのすべてが心理戦だった。胃が痛むほどの緊張の中、私は若さの全てを投じた。


 夜、取引がまとまった瞬間、飯島部長は無言でタバコを差し出した。「よくやったな」その一言に、胸が熱くなった。あの夜、広州の闇に太鼓の音が響いた。その音は、恐怖ではなく達成のリズムに聞こえた。


交易会という学校――逃げないことが胆力を鍛える


 広州交易会は春と秋、年に二度行われる。商社マンにとって、それはまさに「試験場」であり「修羅場」であった。前夜に資料を作り、早朝からアポを取り、夜はレポート作成と反省会。一瞬たりとも気を抜けない日々である。


 だが、恐怖と緊張の先に、商人としての真髄があった。交渉の場で逃げたら終わり。逃げないこと、立ち向かうこと、それこそが胆力の源泉である。私はそこで、のちのレアメタル取引に通じる“交渉の血”を得た。それは、学歴や英語力ではなく、“人間の匂い”を嗅ぎ取る嗅覚である。


爆竹の余韻――時代の始まりを嗅ぎ取った日


 それから25年、私は第100回広州交易会まで通い続けた。街は変わり、人民服はスーツに、裸足の少年は工場長になった。かつて爆竹を拾っていた少年たちが、いまや世界市場を動かしている。あの春の爆竹――「ドンドン」は勇気の音、「パチパチ」は希望の火花、「ピョンピョン」は未来への跳躍。それは単なる商品名ではなく、中国が立ち上がる象徴であった。


 私はその轟音の中で、確かに時代の胎動を聞いた。国境を越えるとは、単に地図を渡ることではない。人の心の境界を越えることなのだ。――爆竹の煙に包まれながら、私は嗅ぎ取った。この国は、必ず世界を動かす国になる。そしてその最初の取引の火薬の匂いこそ、山師としての私の“最初の採掘体験”であった。

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